レッチリの歴代プロデューサー変遷【デビュー〜現在】

本記事では、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(レッチリ、Red Hot Chili Peppers)の歴代プロデューサー変遷を解説していきます。

レッチリ(Red Hot Chili Peppers)はデビューから現在まで、様々なプロデューサーによってプロデュースされてきました。

特にレッチリのプロデューサーとして有名なのがリック・ルービン。彼はレッチリの5thアルバムから10thアルバムまで、20年以上レッチリと制作を共にしてきた重要人物。

※目次付き。

sk

1984年生まれ。東京在住。
音楽、芸術、映画、飲食、衣服などに敏感な性質。

好きなものは、「非圧縮音源」「ぬるめのカフェラテ」「アーヴィング・ペン」「中目の古着屋」「うさぎやのどら焼き」「エチオピア産コーヒー豆」「南アとサンタリタヒルズ産ピノノワール」などなど。

※なお、最近はランニングを習慣化。マイペースに走っております!

プロフィール詳細

1.レッチリ歴代プロデューサーの一覧

レッチリの歴代プロデューサーは下記のとおりです。

  1. アンディ・ギル
  2. ジョージ・クリントン
  3. マイケル・バインホーン
  4. リック・ルービン
  5. デンジャー・マウス

では年代順にレッチリの各プロデューサーをチェックしていきます。

2.アンディ・ギル

レッチリの1stアルバムをプロデュースしたのは、ギャング・オブ・フォーのギタリスト、アンディ・ギルです。

アンディ・ギルは、1956年1月1日生まれ(2020年2月1日逝去)、イギリスのマンチェスター出身です。

Gang of Four

アンディ・ギルは、マンチェスターを代表するポストパンクバンド、ギャング・オブ・フォーのギタリストです。

ギャング・オブ・フォーはパンクムーブメントの真っ只中である1976年にイギリスのリーズで結成した、ポストパンクを代表するバンドです。

ギャング・オブ・フォーは、パンク、ファンク、ダブなど、イギリスらしいミックス感覚と社会性の高いメッセージで人気を博しました。

アンディ・ギルは、ギャング・オブ・フォーのプロデュースも多く手掛けており、プロデューサーとしての手腕はロックミュージシャンに限らず、ファレル・ウィリアムスやフランク・オーシャンなど、幅広いアーティストへ影響を与えています。

レッチリがカバーした曲

この動画はジョン・フルシアンテ再復帰後の初ライブパフォーマンス時に演奏されたギャング・オブ・フォーのNot Great Manです。

Red Hot Chili Peppers – Not Great Men (Gang of Four cover) LIVE IN 2020 (FULL VERSION)

・アンディ・ギルがプロデュースしたレッチリ作品

1984 : The Red Hot Chili Peppers

アンディ・ギルがプロデュースしたレッチリの1stアルバム「The Red Hot Chili Peppers」。

アンソニーのラップと、フリーの溢れるエネルギーを生かしながら、ファンクとパンクの融合が独特の世界観を生み出しています。

1stアルバムは14歳のジョン・フルシアンテに確実に突き刺さったんじゃないかと思います。

Grand Pappy Du Plentyの世界観は、今のレッチリらしさからは想像できないほどにアブストラクトで深淵な趣。駆け出しのレッチリを、洗練した演奏でポストパンク的アプローチを施し、異質な存在感を放つことに成功しています。

残念ながらアンディ・ギルとは当時、あまり良好な関係ではなかったようですが。

3.ジョージ・クリントン

レッチリの2ndアルバムをプロデュースしたのは、Pファンクの総帥であるジョージ・クリントンです。

ジョージ・クリントンは、1941年7月22日生まれ、アメリカのノース・カロライナ出身です。

ちなみにこの動画の左から二番目でギターを弾いている白髪の黒人男性はデュエイン・マックナイトです。デュエイン・マックナイトはヒレル・スロヴァクが他界した後のレッチリを一時支えていたギタリストです。

Parliament

パーラメントとは、ファンクソウルの音楽グループです。キーボーディストのバーニー・ウォーレルをフィーチャーしたハーモニーに重きを置いたプロジェクト。

ジョージ・クリントンは、ザ・パーラメンツというドゥーワップのグループを1955年に結成し活動を始めます。ジョージ・クリントンのキャリアは、シンガーとしてはじまりました。

ザ・パーラメンツという呼称が契約の関係で使えなくなり、ザ・パーラメンツとそのバックバンドを総称してファンカデリックと名乗るようになりました。

後に、コンセプトの異なるプロジェクトとして、パーラメントとファンカデリックは分けて活動するようになります。

Funkadelic

ファンカデリックは泥臭くサイケデリックな音楽性が特徴のグループで、ソウルフルなヴォーカルとサイケデリックなギターサウンドを主体としたプロジェクトです。

パーラメントとファンカデリックはコンセプトが異なりますが、多くのメンバーが重複しており、分けて考えるのは難しい部分も多いです。

レッチリの全メンバーがファンカデリックに大きな影響を受けています。

・ジョージ・クリントンがプロデュースしたレッチリ作品

1985 : Freaky Styley

ジョージ・クリントンは、レッチリの2ndアルバムFreaky Styleyをプロデュースしました。

ジョージ・クリントンがプロデュースしたことで、復帰したヒレル・スロヴァクのギターも相まって、レッチリのファンクでサイケデリックな側面が際立った料理に仕上がっています。

Blackeyed Blondeで表現したサイケファンクは、初期のレッチリを象徴する世界観。

Hollywood (Africa) のホーンアレンジも非常にジョージ・クリントンらしい味付けです。Hollywood (Africa) は、The Metersというアフリカ系アメリカ人ジャムバンドのカバーです。

レッチリのファンクサウンドは、ジョージ・クリントンがプロデュースして土台を固めたので、小手先のサイケファンクバンドにない説得力があります。

4.マイケル・バインホーン

レッチリの3rdと4thアルバムをプロデュースしたのは、ハービー・ハンコックやマリリン・マンソンなどのプロデュースで有名な、マイケル・バインホーンです。

マイケル・バインホーンは、アメリカ出身のプロデューサーです。
マイケル・バインホーンは、1983年リリースのハービー・ハンコックによる傑作Future Shockのレコーディングに、ビル・ラズウェルと共にプロデューサーとして参加しています。

プロデューサーとしての実績は、上記のハービー・ハンコックや、Korn、マリリン・マンソン、サウンドガーデン、オジー・オズボーンなど、ロックの中でもラウドな作品を得意としています。

Material

マイケル・バインホーンは、ビル・ラズウェル率いるマテリアルのメンバーとして活動していました。

マテリアルは、実験性の高い音楽を演奏するいわゆるエクスペリメンタル音楽のグループです。

マテリアルは、ジャズやブラックミュージックとの繋がりが強いグループですが、アヴァンギャルドなニューヨークのロフトジャズ一派とも繋がりが深く、アート性と実験性の高い音楽が特徴です。

・マイケル・バインホーンがプロデュースしたレッチリ作品

1987 : The Uplift Mofo Party Plan

マイケル・バインホーンは、レッチリの3rdアルバム「The Uplift Mofo Party Plan」と4thアルバム「Mother’s Milk」の2作品をプロデュースしています。

マイケル・バインホーンのプロデュースは、「不良」「ラップ」「ロック」というレッチリの個性にフォーカスしており、大衆向けにシフトしています。

1989 : Mother’s Milk

「不良」「ラップ」「ロック」の増幅を狙うがあまりややアイドルチックなプロデュースです。

そんな中でも、このKnock Me Downはアンソニーの実直な表現力と、ジョン・フルシアンテが加入したことで得られた新たなハーモニーとが合致した楽曲で、ビルボード・チャートに最高6位まで上昇しました。

レッチリの繊細さにはやや欠けるパワーマネジメント感がありますが、1stと2ndの売上を大きく凌ぐ結果となり、商業的な成功にぐっと近づいたのはマイケル・バインホーンの功績が大きいです。

マイケル・バインホーンは、メンバーとの相性が悪く、アンソニーとも口論が絶えず結果的には絶交となりましたが、新生レッド・ホット・チリ・ペッパーズとしての転換期を十分に盛り上げたことに違いはありません。

結果的にレッチリは着実にステップアップしていますが、力任せなプロデュースは感受性の豊かなレッチリとは相性が良くありませんでした。

とはいえ、この時期も名曲が多いことには変わりありません!

5.リック・ルービン

Dawn of Def Jam: Rick Rubin Returns to His NYU Dorm Room

レッチリの5th〜10thアルバムをプロデュースしたのは、デフ・ジャム創業者のリック・ルービンです。

リック・ルービンは、1963年3月6日生まれ、アメリカのニューヨーク州出身です。

Def Jam創業とプロデュース活動

Run-DMC

リック・ルービンがプロデュースした、Raising Hellは、Run-DMCとエアロスミスがコラボレーションした名曲、Walk This Wayが収録されているRun-DMCの1986年リリースの3rdアルバム。

リック・ルービンが創設したデフ・ジャムとは、数々の世界的アーティストを輩出した名門レーベルです。そしてそれら数々のアーティストをプロデュースし世界的アーティストへと育てたのもリック・ルービンです。

Beastie Boys

LICENSED TO ILLは、リック・ルービンがプロデュースしデフ・ジャムから1986年にリリースした、ビースティー・ボーイズのデビューアルバム。

ビースティー・ボーイズの名曲、「(You Gotta) Fight For Your Right (To Party)」のプロデュースもリック・ルービン。

Beastie Boys – (You Gotta) Fight For Your Right (To Party) (Official Music Video)

Rage Against the Machine

Renegadesは、リック・ルービンがプロデュースしたカバーソング集で、2000年リリースしたレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの4thアルバム。

手掛けたアーティストは、パブリック・エネミー、ビースティー・ボーイズ、LL COOL J、Run-DMC、ナイン・インチ・ネイルズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、シェリル・クロウ、オーディオスレイヴ、マーズ・ヴォルタ、Jay-Z、ジョー・ストラマー、ジョニー・キャッシュ、レディ・ガガ、エド・シーランなどなど、名盤量産プロデューサーとでもいえるような、多作ぶりです。

・リック・ルービンがプロデュースしたレッチリ作品

1991 : Blood Sugar Sex Magik

リック・ルービンは、レッチリの5thアルバム「Blood Sugar Sex Magik」からレコーディングに参加しています。

レッチリのエネルギーをコントロールし、音楽的に豊かな表現力を引き出し、過去最大のセールスを誇る名盤を世に送り出すことに成功しました。

リック・ルービンのプロデュースには、引き算の美学があります。魅力を付け足すのではなく、魅力を引き出。過剰な部分は削り落とすというスタイルのプロデュースです。

『やんちゃな不良少年』にフォーカスすることはなく、繊細な芸術性を開花させました。

1995 : One Hot Minute

5thアルバムで大成功を掴んだレッチリは、ジョンの電撃脱退により早くも危機を迎えます。

なかなかしっくりくるギタリストが見つからず、解雇の連続でしたがデイヴ・ナヴァロがレッチリに新しい側面をもたらし、6thアルバム「One Hot Minute」でもリック・ルービンは、その個性をしっかり尊重しながら、キャッチーでアーティスティックな方向へ舵を取り、見事な料理を完成させました。

1999 : Californication

脂が乗り、次のステージへと進むレッチリに、ジョンが奇跡の復帰を果たし、ドラマティックなレッチリストーリーを見事に表現した7thアルバム「Californication」。

リック・ルービンは、メロウな西海岸の特性と、ジョンの復帰を噛みしめるようなレッチリの繊細な感受性にフォーカスしています。

マッチョなイメージのレッチリイメージを抜け出し、ロックバンドとしての可能性を突き詰め、表面的なアプローチではなく内面から溢れ出る芸術性を表現しています

2002 : By the Way

「Californication」でレッチリの新たなスタートを大成功させ、ジョンのクリエイティブな側面をしっかり伸ばせる環境でレッチリは8thアルバム「By the Way」を制作。

リック・ルービンのプロデュースは、どんな作品にも緊張と緩和があり、侘び寂びにも似た緩急のある作品づくりを得意としています。

本作では、今まで以上にメロウでメロディアスなハーモニーをもった楽曲が作品を彩り、レッチリらしいファンキーでパワフルな作品も継承することで新旧のファンを魅了する作品へと昇華しています

2006 : Stadium Arcadium

9thアルバム「Stadium Arcadium」でレッチリは、グラミー賞を受賞しました。さらに、シングルカットされたDani Californiaもグラミー賞を受賞し、レッチリはこのうえないほどのエンタメ業界における成功をおさめました。

本作では、パンク、ファンク、ハードコア、メロウ、アコースティックなど、レッチリのメンバーが影響を受けてきた要素を現在に昇華した集大成アルバムといえます。

「Stadium Arcadium」はもしかしたら既にジョンの脱退が見えていたかもしれないと思えるぐらい、アーティストに対する敬意を感じる作品ですね。

2011 : I’m with You

栄光を手にしたレッチリがさらなる旅を始めるための第一歩が、この10thアルバム『アイム・ウィズ・ユー』です。

ジョンが円満脱退し、新たにジョシュが加入、リック・ルービンはおそらく、過去の栄光に甘えた『今までの焼き直し』を最も恐れたんではないでしょうか。

多くのファンが、ジョンの脱退を悲しみ、過去の栄光にバンドがふんぞり返るなんて見ていられない、そういったことをリック・ルービンは想定していたはずです。

本作においてもリック・ルービンはあくまで、アーティストを尊重しており、築き上げたレッチリメソッドを守りながら、ジョシュ・クリングホッファーの個性を引き出し、音楽オタクでカオティックな音楽性と洗練された若々しさとを両立した魅了的な作品に仕上げています。

6.デンジャー・マウス

レッチリの11thアルバムをプロデュースしたのは、ナールズ・バークレイでも有名なデンジャー・マウスです。

デンジャー・マウスことブライアン・バートンは、1977年7月29日生まれ、アメリカのニューヨーク州出身です。

Gnarls Barkley

デンジャー・マウスは、シーロー・グリーンとのユニットであるナールズ・バークレイでの活動でも非常に有名なアーティストの顔を持っています。

ナールズ・バークレイの「Crazy」は2007年のベスト・アーバン・オルタナティブ・パフォーマンス賞を受賞、また「Crazy」収録のアルバム「St.Elsewhere」は同年のベスト・オルタナティブミュージック・アルバム賞を受賞しています。

デンジャー・マウスはグラミー賞受賞プロデューサーです。

ナールズ・バークレイ以外にも、元ブラーのデーモン・アルバーン率いるゴリラズのプロデュースや、ブロークン・ベルズでの活動など活躍の場は多岐に渡ります。

・デンジャー・マウスがプロデュースしたレッチリ作品

2016 : The Getaway

デンジャーマウスによるプロデュースは、王道のレッチリ節を感じさせながらも、リック・ルービンが見せてきたレッチリのアーティスティックかつ、親近感と普遍性のある楽曲とは一味違う、ネオ・レッチリ的な世界観を描いています。

20年以上レッチリをプロデュースしてきたリック・ルービンの手を離れ、2016年リリースの11thアルバムでレッチリは、新たにデンジャーマウスと手を組むことは、レッチリにとって大きな冒険であり、賭けでもありました。

アンソニー、フリー、チャドのいつまでも若々しい存在感と、ジョシュのトリッキーでマニアックな音楽オタク的アプローチをキャッチーにまとめあげた名プロデュースアルバムに仕上がっています。

7.それぞれのレッチリ

レッチリのように強い個性のバンドでも、プロデューサーの舵取り次第で作風は結構変わってしまうもの。

プロデューサーとは、レストランにおけるシェフのような存在です。

バンドのメンバーが食材だとすると、その食材の魅力をどこまで引き出せるかはシェフのスキルにかかってきます。

メンバーの脱退や死、ドラッグと成功、これらのドラマティックな要素を作品に反映させ、それぞれの作風でプロデュースしてきた5人のプロデューサーたち。

バンドメンバーも、その成長過程において、辛く苦しい時期があり、あらゆる時期を乗り越えたからこそ、『最強ロックバンド』と呼ばれる『今』があります。

※下記は「アンソニーの半生=レッチリの歴史」がぎゅっと詰まったアンソニー・キーディス自伝。各メンバーの「出会い」「別れ」「制作の裏側」など、興味深い逸話のオンパレード。めっちゃ面白い。未読の方はぜひ。

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