本記事では、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(レッチリ、Red Hot Chili Peppers)のメンバー変遷を解説していきます。
※目次もご活用くださいませ。
深みを増した極上のグルーヴ
1.世界最強ロックバンド
レッチリ(Red Hot Chili Peppers)とは、アメリカLAのロックバンド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのこと。レッチリはグラミー受賞歴のあるロックバンドです。
レッチリは1983年に高校の同級生によってカリフォルニアで結成され、1984年にメジャーデビュー、現在に至るまでロックバンドのトップランナーとして現役で活動を続けています。
では、レッチリのメンバー変遷を、作品リリース順にチェックしていきます。
2.全スタジオアルバム
レッチリはスタジオアルバムを11作品リリースしています。
各作品の参加メンバー一覧は下記のとおり。
→ | リリース | アルバムタイトル | レーベル | ヴォーカル | ベース | ギター | ドラム |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1984年8月10日 | The Red Hot Chili Peppers | EMI | Anthony | Flea | J.Sherman | Cliff |
2 | 1985年8月16日 | Freaky Styley | EMI | Anthony | Flea | Hille | Cliff |
3 | 1987年9月29日 | The Uplift Mofo Party Plan | EMI | Anthony | Flea | Hille | Jack I |
4 | 1989年8月16日 | Mother’s Milk | EMI | Anthony | Flea | John | Chad |
5 | 1991年9月24日 | Blood Sugar Sex Magik | Warner | Anthony | Flea | John | Chad |
6 | 1995年9月12日 | One Hot Minute | Warner | Anthony | Flea | Dave | Chad |
7 | 1999年6月8日 | Californication | Warner | Anthony | Flea | John | Chad |
8 | 2002年7月9日 | By the Way | Warner | Anthony | Flea | John | Chad |
9 | 2006年5月9日 | Stadium Arcadium | Warner | Anthony | Flea | John | Chad |
10 | 2011年8月29日 | I’m With You | Warner | Anthony | Flea | Josh | Chad |
11 | 2016年6月17日 | The Getaway | Warner | Anthony | Flea | Josh | Chad |
* | 2019年12月16日 | * | * | Anthony | Flea | John | Chad |
上のリストの通り、1984年の1stアルバムから2016年の11thアルバムに至るまでの32年間コンスタントにアルバムをリリースし続けています。アップデートし続けているというだけでもスゴイですね。
では、1stアルバムから順にメンバー変遷をチェックしますね。
3.1stアルバムのメンバー
担当 | メンバー |
---|---|
Vocal | アンソニー・キーディス |
Bass | フリー |
Guitar | ジャック・シャーマン |
Drum | クリフ・マルティネス |
Producer | アンディ・ギル(Gang Of Four) |
【第1期】早くも結成メンバーではないレッチリ
1stアルバム「The Red Hot Chili Peppers」のレコーディングは結成メンバーでは行わませんでした。
早速波乱のスタートを切ったレッチリ。ギターのヒレル・スロヴァクと、ドラムのジャック・アイアンズはバンドを掛け持ちしていたためレッチリを脱退してしまいます。
2代目ギタリスト:ジャック・シャーマン
そのためオーディションで募ったギタリストのジャック・シャーマンと、ドラマーのクリフ・マルティネスを加えたメンバーでレコーディングした1stアルバム。
ジャック・シャーマンはテクニック面での問題はありませんでしたが、パンク精神に欠けた神経質な振る舞いがアンソニーと反りが合わず。。
2代目ドラマー:クリフ・マルティネス
クリフ・マルティネスは、元キャプテン・ビーフハートのバンドにいた逸材。1954年生まれなのでアンソニー・キーディスやフリーの8歳年上です。
アンソニー・キーディスも、フリーも、「心を許せる仲間と過ごす時間を大切にしている」ので、ミュージシャンとしてテクがあるだけだと、レッチリメンバーとしては長続きしない。
クリフは持ち前の変態気質があったので、アンソニーとフリーのパンク精神とまずまずの相性だったようで、割と長続きしたドラマーです。
しかし、案の定ジャック・シャーマンはクビになり、このメンバーでの制作はこのアルバムで最後となりました。
1stアルバムは結成メンバーではないけど、かなりインパクトのある内容。アンディ・ギルのプロデュースが冴えててかっこいいアルバムです!
4.2ndアルバムのメンバー
担当 | メンバー |
---|---|
Vocal | アンソニー・キーディス |
Bass | フリー |
Guitar | ヒレル・スロヴァク |
Drum | クリフ・マルティネス |
Producer | ジョージ・クリントン(Parliament / Funkadelic) |
初代ギタリスト:ヒレル・スロヴァク
2ndアルバム「Freaky Styley」からギターに結成メンバーのヒレル・スロヴァクが帰ってきます。
しかも本作は、Pファンクのゴッドファーザーことジョージ・クリントンによるプロデュースです。
ジョージ・クリントン・プロデュースの本作は、パーラメント・ファンカデリック直系のサイケデリックファンクサウンドに仕上がってます。
アンソニーのラップも相まって、レッチリらしいファンキーさの獲得を決定付けた作品になっています。
ドラムは前作に続きクリフ・マルティネス。腕利きドラマーでノリも良かったのでアンソニーとフリーとも何とかうまくやってたようですね。
しかし、クリフ・マルティネスがこのアルバムを最後に脱退するため、このメンバーでのレコーディングはこのアルバムで最後となりました。
なんとかヒレルを取り戻したアンソニーとフリー。2ndは初期のレッチリらしいエネルギーに満ち溢れた傑作サイケファンクアルバム!
5.3rdアルバムのメンバー
担当 | メンバー |
---|---|
Vocal | アンソニー・キーディス |
Bass | フリー |
Guitar | ヒレル・スロヴァク |
Drum | ジャック・アイアンズ |
Producer | マイケル・ベインホーン(Material) |
初代ドラマー:ジャック・アイアンズ
3rdアルバム「The Uplift Mofo Party Plan」にしてようやく結成メンバーが全員揃ったレッチリ。
ドラムにジャック・アイアンズが帰ってきました。
メジャー契約存続の危機から脱するべく、本作はプロデューサーにマイケル・ベインホーンが起用され、ミクスチャー路線を一層強化していきます。
本作で売上も大きく伸び、日本盤が初めてリリースされたアルバムとなりました。
本作のリリース後1988年6月にヒレル・スロヴァクがオーバードーズにより急逝。また、親友の死に対するショックが大きく、ドラムのジャック・アイアンズはバンドを脱退。
結成メンバーでのアルバムは本作が最初で最後となった。
親友の死と好セールスに挟まれ、バンドの存続に対するジレンマを抱えたアンソニーとフリー。この苦しみを乗り越えたから今のレッチリがあるんですね!
6.4thアルバムのメンバー
担当 | メンバー |
---|---|
Vocal | アンソニー・キーディス |
Bass | フリー |
Guitar | ジョン・フルシアンテ |
Drum | チャド・スミス |
Producer | マイケル・ベインホーン(Material) |
ヒレルのいないレッチリ
4thアルバム「Mother’s Milk」で現在のメンバーが揃います。
亡きヒレル・スロヴァク、脱退したジャック・アイアンズ、失った親友と成功の葛藤に挟まれ苦しい時期を乗り越え新メンバーを迎えてレッチリは前進していきます。
4代目ギタリスト:ジョン・フルシアンテ
新ギタリストに、62年生まれのアンソニーとフリーよりも8歳年下となる1970年生まれのジョン・フルシアンテを迎えます。
1988年の11月から始まった本作のレコーディング時、ジョン・フルシアンテは18歳。
ヒレル・スロヴァクをリスペクトし、音楽に対する探究心や好奇心も強く、ノリもいいカワイイ弟的なキャラだったジョン・フルシアンテは、アンソニーとフリーの厳格なバンド愛とも馴染んでいきました。
3代目ギタリスト:デュエイン・マックナイト
実はジョン・フルシアンテが加入する前の僅かな期間に、デュエイン・マックナイトというPファンク直系のギタリストが在籍していました。
デュエイン・マックナイトは、ハービー・ハンコックやマイルス・デイヴィスと共演、パーラメント、ファンカデリックでも活躍しているアフリカ系アメリカ人ギタリストです。
4代目ドラマー:チャド・スミス
そして、ドラムには1988年の加入から現在に至るまで不動の地位を築いたチャド・スミスを迎えます。
パワフルでメタル文脈のテクニックを持ち合わせる陽気で真摯なチャド・スミスのキャラクターは、レッチリにとって不可欠な要素となっていきます。
3代目ドラマー:D.H. ペリグロ
実はドラマーに関しても、初代のジャック・アイアンズが脱退したのち、一時だけデッド・ケネディーズのD.H. ペリグロが加入していました。
ペリグロは現在もデッド・ケネディーズのメンバーとして活躍しているアフリカ系アメリカ人ドラマーです。
伸びるセールスとバンドの葛藤
本作は前作を更に凌ぐセールスを記録し、Knock Me Downやスティーヴィー・ワンダーのカバーHigher Groundなど、レッチリ史上重要な名曲を生み出したのも本作。
しかし、前作から作業を共にしたプロデューサーのマイケル・ベインホーンとバンドとの相性は決して良好ではなく意見はぶつかり続け、本作でメタル路線のミクスチャーサウンドは終止符を打つこととなり、マイケル・ベインホーンとは絶交となりました。
さらに、レッチリは5年間在籍したEMIとも別れ、次回作からワーナーへ移籍することになります。
現在のレッチリメンバーの基礎が作られた本作ですが、第二期レッチリの本質的な基礎となるのは次回作からと思われます!
7.5thアルバムのメンバー
担当 | メンバー |
---|---|
Vocal | アンソニー・キーディス |
Bass | フリー |
Guitar | ジョン・フルシアンテ |
Drum | チャド・スミス |
Producer | リック・ルービン(Def Jam) |
【第2期】現在の黄金メンバー
5thアルバム「Blood Sugar Sex Magik」のメンバーは、前作から続き新生レッド・ホット・チリ・ペッパーズで構成されていますが、ワーナーへ移籍し、新たなプロデューサーを迎えることになります。
プロデューサーにリック・ルービンが起用される
5thアルバムから敏腕プロデューサーのリック・ルービンと作業を共にするようになります。
5thアルバムをレッチリの最高傑作とするファンも多く、名曲づくしとなっており、レッチリの全作品の中でも最も売れたアルバムで、アメリカ本土だけで700万枚以上の販売を記録しているアルバムです。
また1993年のグラミー賞において、本作収録のGive It Awayが最優秀ハードロック・パフォーマンス賞を受賞しました。
ジョン・フルシアンテのメロウなソングライティングや、ハーモニーは本作で早くも花開き、名曲“Under The Bridge”はローリング・ストーン誌が選ぶ『ギターソング100選』に選ばれています。
しかし、若きジョン・フルシアンテは、1992年の日本公演時の来日中に急遽バンドを脱退。ジョンはしばらくドラッグと鬱の苦しみの中を葛藤することになります。
これを機にレッチリはまたしてもギタリスト探しに苦労することとなり、しばらくは模索の時期へと突入していきます。
21歳だった早熟の天才ジョン・フルシアンテのクリエイティビティは、エンタメビジネス環境との折り合いに疲弊し、深みに落ちていきます。これらの壮絶な歴史が、レッチリを更なる大きな成長へと導いていくことに。
8.6thアルバムのメンバー
担当 | メンバー |
---|---|
Vocal | アンソニー・キーディス |
Bass | フリー |
Guitar | デイヴ・ナヴァロ |
Drum | チャド・スミス |
Producer | リック・ルービン(Def Jam) |
【第3期】脂が乗り始めるレッチリ
年齢も30代に突入したアンソニーとフリーは、年齢的にもキャリア的にも脂が乗り始めてきた92年に、ジョン・フルシアンテの電撃脱退があり、またしてもギタリスト探しが始まります。
5代目ギタリスト:ザンダー・シュロス
ジョン・フルシアンテが脱退し、ワールドツアー中だったレッチリはオーストラリア公演にむけザンダー・シュロスを迎え入れます。が。。
6代目ギタリスト:アリク・マーシャル
ザンダー・シュロスは音楽性の相違から4日間というスピード解雇を決行され、次なるギタリストとしてアリク・マーシャルを迎えます。
※下記、アンソニーの左がアリク。
しかし、アリク・マーシャルも92年のベルギー公演から、翌年のロサンゼルス公演までで脱退。
7代目ギタリスト:ジェス・トビアス
ジェス・トビアスはアリク・マーシャルが脱退した1週間だけ在籍。ジョン・フルシアンテ脱退後、3名のギタリストが加入し、脱退しています。
8代目ギタリスト:デイヴ・ナヴァロ
そして、93年からデイヴ・ナヴァロが正式な後任ギタリストとして加入し、本作はレコーディングされました。
元ジェーンズ・アディクションのデイヴ・ナヴァロは、メタル系ギタリストらしいラウドでタイトなサウンドが特徴で、メロウな繊細さをも兼ね備えており、芸術性の高い感性はアンソニー、フリー、チャドとも相性がよく良好な関係性を築いていました。
しかし、音楽性の相違からデイヴ・ナヴァロは98年にレッチリを脱退します。
6thアルバム「One Hot Minute」のレコーディングから98年までの5年間、レッチリのギタリスト史上、3番目に長い在籍期間で、レッチリを支えたデイヴ・ナヴァロ。
次なるギタリストは誰になることでしょう。
デイヴ・ナヴァロ在籍時期の本作は、今までにないレッチリの新しい側面を描き出し、異質な趣ながらキャッチーなメロディや構成レベルの高さから人気の高いアルバムですね!
9.7thアルバムのメンバー
担当 | メンバー |
---|---|
Vocal | アンソニー・キーディス |
Bass | フリー |
Guitar | ジョン・フルシアンテ |
Drum | チャド・スミス |
Producer | リック・ルービン(Def Jam) |
【第4期】ジョン・フルシアンテが奇跡の帰還
92年に電撃脱退した当時22歳のジョン・フルシアンテが、ドラッグの苦しみを乗り越え、98年に奇跡的に復帰します。
僕はここからがレッチリの第四期だと思います。
作品の奥行きや、バンドとしての成熟度など、以前のレッチリにはない風格が出てきます。
ジョン・フルシアンテは、脱退中も創作活動は辞めておらず、ドラッグの苦しみの中、ソロ作品を3作残しており、ドローイングなども行っています。
エンタメ業界の息苦しさを乗り越え、独自の芸術性を確固たるものとした早熟の天才ジョン・フルシアンテは、30歳を目前にして表現方法を習得し、自身との対峙方法も身につけたのでしょう。
第四期レッチリが世に届けた名曲の数々は、ジョン・フルシアンテの才能あってこそ。
不動のレッチリサウンドが確立される
「Californication」はレッチリの音楽的な深みを増した表現力がぎっしり詰まった名作。
メンバー全員の個性を生かしながら、成熟度を増した楽曲がギュッと詰まった傑作アルバムです。
2000年のグラミー賞において、本作収録のScar Tissueが最優秀ロックソング賞を受賞しました。
ジョン・フルシアンテの侘び寂びの効いたソングライティングが遺憾なく発揮され始める作品として「Californication」は超重要です。
10.8thアルバムのメンバー
担当 | メンバー |
---|---|
Vocal | アンソニー・キーディス |
Bass | フリー |
Guitar | ジョン・フルシアンテ |
Drum | チャド・スミス |
Producer | リック・ルービン(Def Jam) |
さらなる進化を続けるレッチリの佳作
8thアルバム「By the Way」はジョン・フルシアンテが復帰してからの2作目にあたり、リック・ルービンのドラマティックなプロデュースも冴える佳作。
ジョン・フルシアンテは、レッチリに復帰し、自身の存在感を確固たるものとした前作から更に踏み込み、以前よりも綿密なサウンドメイクに進化していきます。
フリーとチャドが織りなす安定感のある強固なグルーヴを、カラフルに彩るジョンのギターは、様々なエフェクターを使用したサウンドメイクで、宇宙的な広がりを感じさせる新たなレッチリの側面を担う重要な役割を果たしています。
このアルバムでは、今まで以上にポップ色が強くなりました。
ボーカルのハーモニーや、コーラスワークなど至るところにジョン・フルシアンテのカラーが注ぎ込まれており、ジョンがあまりにフィーチャーされたことで、フリーが自分の存在価値を疑い一時脱退を考えていたとか。
フリーらしさも全編に渡り十分注入されているんですけどね笑。
フリーが嫉妬するほどの才能をジョン・フルシアンテが開花させているということですね。
ちなみに本作は、前作を大きく上回り、イギリスを含む多くの国でアルバムチャート1位を獲得しています。
早熟の天才ジョン・フルシアンテは鬼才へと進化し、レッチリワールドを更に深いものへと導きました!
この時期のライブを収録したLive in Hyde Parkや、DVD作品Live at Slane Castleも最高にかっこいいのでおすすめです。
11.9thアルバムのメンバー
担当 | メンバー |
---|---|
Vocal | アンソニー・キーディス |
Bass | フリー |
Guitar | ジョン・フルシアンテ |
Drum | チャド・スミス |
Producer | リック・ルービン(Def Jam) |
グラミー賞4部門受賞、ピークに到達するレッチリ
第四期レッチリのピークともいえる黄金メンバーによる9thアルバム「Stadium Arcadium」が本作。
本作収録のDani Californiaがグラミーの最優秀ロック・パフォーマンス賞と、最優秀ロック・ソング賞を受賞し、本作「Stadium Arcadium」は最優秀ロック・アルバム賞と、最優秀スペシャル・エディション・パッケージ賞を受賞しています。
本国アメリカを含む多くの国々でアルバムチャート1位を記録するなど、名実ともにピークに達したレッチリ。
本作でも、ジョン・フルシアンテのサウンドメイクが発揮され、ライブ時のペダルエフェクターの量も膨大で、もはや鬼才は仙人の領域に。
そして、このアルバムのツアーが終わり2009年にジョン・フルシアンテは自分自身の音楽探求を深めるためレッチリを脱退します。
とうとうロックバンドとしての頂点を極めた感のあるレッチリ。
2枚組の本作に捨て曲はなく、丁寧にデザインされた普遍的な楽曲は名曲ばかりです!
12.10thアルバムのメンバー
担当 | メンバー |
---|---|
Vocal | アンソニー・キーディス |
Bass | フリー |
Guitar | ジョシュ・クリングホッファー |
Drum | チャド・スミス |
Producer | リック・ルービン(Def Jam) |
【第5期】ジョン・フルシアンテの円満脱退を経て
ジョン・フルシアンテは自分自身の音楽探求を深めるため、メンバーの理解を得た上で2009年に円満脱退をします。
ジョンの脱退が決まった時点で、フリー曰く「解散しようと思っていた」のだそう。
しかし、フリー自身がレッチリというモンスターロックバンドを深く愛していることを、ジョンの脱退を踏まえてもなお実感していたため、ファンから愛され自身も愛しているレッチリを存続させようと考えたようです。
9代目ギタリスト:ジョシュ・クリングホッファー
数々の栄光を手に入れたレッチリは、共に歴史を作り歩んだジョン・フルシアンテを送り出しました。バンドの存続を実現させたのが9代目ギタリストのジョシュ・クリングホッファーです。
ジョシュ・クリングホッファーは、オルタナティブ・ロック界隈のセッションギタリストとしても活躍してきており、ジョン・フルシアンテのソロアルバムでは多くの楽曲で共同作業をしてきた実力者。
更にジョシュは、【第四期】レッチリのピークである、「Stadium Arcadium」のツアーでは、色彩豊かなギターサウンドを再現するべく、ツアーのサポートメンバーとして既に参加していました。
79年生まれのジョシュは、アンソニーやフリーより17歳年下ということもあり、既に多くの栄光を手に入れパブリックイメージが構築されたバンドでの、自らの存在意義に悩み、多くの苦悩があったといいます。
ジョシュは、レッチリのイメージを崩さず、自分らしさを反映させるプロセスには、ジョン・フルシアンテとの比較などもあり苦しんだことでしょう。
しかし、ジョシュならではのアイディアや、マルチプレイヤーだからこそできる視野の広いギターフレーズ、破壊的でありながら繊細な感性をもったジョンとの共通点など、他のギタリストにはなしえない才能がジョシュの個性であり、バンドの柱となりました。
もう一つこの時期の重要なトピックスがあります。1991年から20年作業を共にしたプロデューサーのリック・ルービンが本作で終了します。
リック・ルービンとレッチリは「Blood Sugar Sex Magik」から実に6作品を共に製作してきました。
ジョン・フルシアンテが脱退してもなお、レッチリが、そしてアンソニーやフリーが光り輝くことができたのはジョシュがいたからこそです!
13.11thアルバムのメンバー
担当 | メンバー |
---|---|
Vocal | アンソニー・キーディス |
Bass | フリー |
Guitar | ジョシュ・クリングホッファー |
Drum | チャド・スミス |
Producer | デンジャー・マウス(Gnarles Barkley) |
新プロデューサーを迎えるのは25年ぶり
ジョシュが加入し、更に時代は2010年代を折り返し、音楽というメディアそのものの在り方にも変化が顕著に現れてきている2016年リリースの11thアルバムである「The Getaway」。
プロデューサーには新たにデンジャー・マウスを迎え入れ、普遍的となったレッチリサウンドを極めて現代的にアップデートしたのが本作。
ミックス・エンジニアにレディオヘッド第6のメンバーが参加
サウンド面も新たな要素があり、ミックス・エンジニアにレディオヘッド第6メンバーとして有名なナイジェル・ゴッドリッチが参加しています。
ナイジェル・ゴッドリッチはフリーと、トム・ヨークがメインとなったプロジェクトの、アトムス・フォー・ピースで既に共演しています。
CDが売れなくなり低迷する音楽業界にあっても、結成35周年を迎えたバンドとは思えないアグレッシブなライブパフォーマンスや、繊細な感情表現は評価され、本作は若い世代からも共感をえることに成功しています。
そして、10年間というレッチリのギタリスト史上2番目に長い在籍期間でバンドを支えたジョシュ・クリングホッファーは、この作品が最後となり、2019年にレッチリを脱退します。
前作に続き本作もアルバムチャートで1位を獲得しており、レッド・ホット・チリ・ペッパーズが依然として解散せず存続し続けているということそのものが、ジョシュの功績でしょう。
ジョン・フルシアンテの再復帰を実現させたのも、レッチリの存続を支えたジョシュの功績が大きいと思います。
そして2019年、10年ぶりのジョン再復帰が叶いました。ジョシュがレッチリを支えてきた功績ですね!
14.アンソニーとフリーがいてこそ
レッチリの核となるメンバーは結成当初からずっと変わらずボーカルのアンソニー・キーディスと、ベースのフリーの2人です。
レッチリのレッチリらしさは、アンソニーとフリーの存在を抜きに語ることは出来ないでしょう。
彼らがここまで30年以上にも及ぶ荒波航海を乗り越え、いまだに最前線で活躍できているのは、いつでも彼らは自分自身を受け入れ、更には世界を受け入れ、お互いにリスペクトし、常に自分自身に誠実だったからこそではないでしょうか。
いつでもポジティブで、誠実に人生を楽しむレッチリ精神が僕は大好きです。
※下記は「アンソニーの半生=レッチリの歴史」がぎゅっと詰まったアンソニー・キーディス自伝。各メンバーの「出会い」「別れ」「制作の裏側」など、興味深い逸話のオンパレード。めっちゃ面白い。未読の方はぜひ。
→ | リリース | アルバムタイトル | レーベル |
---|---|---|---|
1st | 1984年8月10日 | The Red Hot Chili Peppers | EMI |
2nd | 1985年8月16日 | Freaky Styley | EMI |
3rd | 1987年9月29日 | The Uplift Mofo Party Plan | EMI |
4th | 1989年8月16日 | Mother’s Milk | EMI |
5th | 1991年9月24日 | Blood Sugar Sex Magik | Warner Bros. |
6th | 1995年9月12日 | One Hot Minute | Warner Bros. |
7th | 1999年6月8日 | Californication | Warner Bros. |
8th | 2002年7月9日 | By The Way | Warner Bros. |
9th | 2006年5月9日 | Stadium Arcadium | Warner Bros. |
10th | 2011年8月29日 | I’m With You | Warner Bros. |
11th | 2016年6月17日 | The Getaway | Warner Bros. |
今日は以上です。
skでした。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
記事が参考になりましたら幸いです。
※深みを増した極上のグルーヴ
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