ジョン・フルシアンテといえばコレ!【5分で魅力を解説】


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この記事では、レッチリ(Red Hot Chili Peppers)のギタリスト、ジョン・フルシアンテ(John Frusciante)の特徴を「5分で解説」していきます。

なお、記事の後半では、ジョン・フルシアンテのクリエイティブな側面を特集しています。深く知りたい方は併せてお楽しみください。

※下記からジョン・フルシアンテ特集号も読めますのであわせてどうぞ。

※ギター・マガジン最新号

ジョン・フルシアンテの新定番ペダル

ジョン・フルシアンテは新作Unlimited Loveのレコーディングで、MXRから提供された多くのペダルエフェクターを新たに採用しています。

中でもファズ「M236」、ディストーション「M78」、リバーブ「M300」はUnlimited Loveの各楽曲のサウンドメイクに大きな影響をもたらす重要なエフェクターとして「新たなレッチリサウンドを表現するジョン・フルシアンテの新定番ペダル」となること間違いなしですので、今のうちにチェックしておきましょう!

・ファズ

・ディストーション

・オーバードライブ

・リバーブ

※詳しくは下記の記事もどうぞ!

※ジョン・フルシアンテ最新情報

※目次もご活用くださいませ。

Music ∞♡ / Jazz / Punk / Rock / Funk / Electronic Music 1984年生まれ。東京在住。

プロフィール詳細

1.5分で解るジョン・フルシアンテ

1.ギタリストとしての評価

ジョン・フルシアンテといえば、まずはギタリストとしての圧倒的な人気、そして、評価の高さが取り上げられるかと思います。

ジョン・フルシアンテは、1988年にレッチリの4代目ギタリストとして加入した当時、若干18歳ながら、はじめから類稀なセンス・テクニック・カリスマ性を持っていました。

そんなジョン・フルシアンテの、評価はジョン・フルシアンテが参加して2作目となるブラッド・シュガー・セックス・マジックで決定的なものとなります。

しかし、ご存知の方も多いとおり、加入から約4年、1992年のツアー中に、ほぼ失踪するかたちで脱退。

そして、ジョン・フルシアンテは、1998年に奇跡的に復活を遂げ、レッチリに再加入し制作したアルバム、カリフォルニケイションでは、レッチリの「マッチョ・タフ・エネルギッシュ」といったイメージを覆す「熟したロック」で世界を魅了し、「世界最強スタジアムバンド」へとレッチリを成長させるプロセスに大きく貢献します。

なお、2007年には、ローリングストーン誌が選ぶ「The New Guitar Gods(現代の3大ギタリスト)」として、ジョン・メイヤー(1977年生まれ)、デレク・トラックス(1979年生まれ)と並び、ジョン・フルシアンテ(1970年生まれ)が選出されました。

この「The New Guitar Gods」に関しては、ジョン・フルシアンテを除く2名が、かなりブルースに根ざしているので、パンクがルーツで、アバンギャルドでエクスペリメンタルな匂いがぷんぷんしているジョン・フルシアンテだけやや毛色が異なる感じもあります。とはいえ、この3名は、それぞれに多くのギタリストへ影響していますので、現代の重要ギタリストであることに違いはないな!と思う次第であります。

※ジャズ・ギタリストとかは、きっと選出条件に含まれていなかったんだろうなと思います。カート・ローゼンウィンケル(1970年生まれ)とか結構「The New Guitar Gods」だと思いますけどね〜。

また、同誌の企画「100 Greatest Guitarists」における、第1位は、ジミ・ヘンドリックス。デレク・トラックスは第16位、ジョン・フルシアンテ第72位、ジョン・メイヤーは圏外となっており、割と近い世代からのトム・モレロ(第40位、1964年生まれ)、ジョニー・グリーンウッド(第48位、1971年生まれ)、ジャック・ホワイト(第70位、1975年生まれ)のほうが「The New Guitar Gods」よりも上位だったりして、なかなかカオス。ちなみに、ジョン・フルシアンテに続く第73位にはカート・コバーンがランクイン。

下記は、「100 Greatest Guitarists」におけるジョン・フルシアンテの紹介文。

The Red Hot Chili Peppers always knew how to rock a party; it took John Frusciante to turn them into an arena-packing band with a sound they could call their own. Frusciante is a remarkably elastic stylist and a gifted sculptural arranger who pushed the Chilis to explore new worlds without getting in the way of their funk-pumped energy; he beefed up their sound with both well-placed fire (the volcanic, Hendrix-style solo on “Dani California”) and remarkable elegance (the indelible opening chords of “Under the Bridge”).

出典:rollingstone.com

ジョン・フルシアンテの感性「Fire and Elegance」は、レッチリのサウンドを強化したとあります。

2.ドラッグ

ジョン・フルシアンテといえば、こちらも避けては通れない話題ではないかと思います。

ジョン・フルシアンテは、先述のとおりレッチリを1992年に脱退しており、92年からの約5年間、薬物依存と鬱に苦しみました。

そもそも、ジョンが、レッチリを脱退するに至った経緯は、音楽活動が「金儲け」の手段に直結してしまうジレンマからではないかなと、推測しています。そのジレンマが、アンソニーとのすれ違いを生み、徐々にメンバーとの溝を深め、修復が困難になってしまった。のでは、ないかなと思っています。

(あ、あくまで、私が勝手に思っているだけですよ。真実ではありません。)

とはいえ、過去の雑誌や諸々のインタビューなど、「アンソニーとジョンの仲違い」や、「フリーに振られた」といったジョンの発言から様々な憶測が錯綜していたりもするようで、確かなことは誰にもわからないかなと、思ったりもしています。

その脱退を機に、ドラッグの深みへと徐々に進んでいき、このままでは先が危険過ぎるレベルに到達しているのは誰の目から見ても明らかだったと思われます。

その状況からジョンを救ったのが、周囲の仲間。レッチリ界隈では、おなじみのセロニアス・モンスターのボブ・フォレストの説得により1998年にジョン・フルシアンテは更生施設へ入り、仲間の支えがジョン・フルシアンテを前進させました。

そして、クリーンになったジョン・フルシアンテにフリーが「また一緒に演ろう」と、声を掛け、お互いに号泣して復帰を喜んだのは有名な話。こういうドラマが、さらにレッチリを魅力的にさせているのだと思います。ジョンが復帰すると決まり、アンソニーがジョンをギター・センターに連れていき、あの62年製ストラトキャスターをアンソニーがジョンのために買ってあげたくだりも、胸が熱くなります。

以上のように、正直なところ、あまりにもプライベートな話題なので、触れるべきではないかなぁと毎度思いつつも、ソロ作品においては「苦しみ期間からのインスピレーション」も多くあるようで、作品に触れるうえでも知っておいたほうが理解が深まると考え、極力、可能な範囲で情報を整理している次第であります。

余談ですが、「アンソニーが連れて行ったギターセンター」は、おそらくハリウッド・サンセット大通りのギターセンター(世界最大の楽器店)ではないかなあと想像。

3.タトゥー

お次も、レッチリメンバーといえばのトピックス。

ジョン・フルシアンテはタトゥーを、両肩、両前腕、右手首の合計5箇所に入れました。

ジョン・フルシアンテはレッチリ加入時には既に、左肩のネイティブアメリカン・モチーフと、右前腕のハグ・モチーフを入れていたと思われます。

しかし、左肩のネイティブアメリカン・モチーフは、アンソニーやフリーのタトゥーを手掛けているタトゥー・アーティスト、ヘンキー・ペンキーこと、ヘンク・シフマッヒャーさんが、デザインしているらしいです。

そのため、「レッチリ加入のタイミングでタトゥーを入れた説」が有力ではないかと思います。

下記の写真は、1988年にレッチリへ加入したかなり初期の写真。下記1枚目の写真は、ジャック・アイアンズの後任ドラマーとして、チャド・スミスが加入する前に、デッド・ケネディーズのドラマー、D.H.ペリグロ(写真右)が加入していた時期の写真。

右前腕のハグ・モチーフは下記のように解釈すると、たしかに、「抱き合う」ようなフォルムに見えますね〜。

そして下記の6枚目は、その後まだチャド・スミス加入前のレッチリ。ちらっと見えますが、このタイミングで左前腕の「Dancing In Your Headモチーフ」が追加されたいます。

下記の写真も上記と同時期。「Dancing In Your Headモチーフ」がばっちり見えますね。

※「Dancing In Your Head」とは、フリージャズ・アーティストのオーネット・コールマンが1977年にリリースしたアルバムのタイトルで、ジョン・フルシアンテの左前腕にある絵柄は、そのアルバム・ジャケットのイラストがモチーフとなっています。

そしてつぎに、右肩のタコ・モチーフと、右手首のアステリスク(アンソニーと同じ箇所、同じモチーフ)を入れたものと思われます。

Thes beautiful octopus was designed by Henk Schiffmacher also known as Henky Penky and it’s meant to serve as a souvenir from the Positive Mental Octopus tour the band did to promote their Mother’s Milk album. 

出典:invisible-movement.net

このタコ・モチーフは、Mother’s Milkリリースのプロモーションで行われたPositive Mental Octopus tourの際に入れたらしいです。ちなみに、チャドも太ももに、ヘンクさんのタコを入れています。

下記はジョンのアステリスクを撮影するガス・ヴァン・サント。BSSMの裏ジャケと、Funky Monksのジャケットで使用されていますね。

なお、ジョン・フルシアンテは、先述の薬物の影響により、下記のように両腕の皮膚に「傷あと」が残っており、その影響でタトゥーが「残っている部分と消えてしまった部分」とがあります。

※ちなみに、「傷あと=瘢痕(はんこん)組織」のことを、英語で「Scar Tissue」と言います。また、アンソニーの自伝によると、ジョンは、薬物摂取の際に注射器を適正に使用していなかったが為に、ジョンの腕は次第に化膿していき、1995年12月頃にいたっては、ジョンの腕は壊疽(えそ)寸前だったそうです。とにかく、復活できてよかった。ジョンの復活は本当に奇跡的だなと、痛烈に感じるエピソードでありす。

左肩のネイティブアメリカン・モチーフは、復活以降も全体的に原型を確認することができます。

余談ですが、上記の写真のギターは、ヘッド形状からしてAmpegと思われます。

以上、「5分で解るジョン・フルシアンテ」でした!

では、ここからは、ジョン・フルシアンテの「生い立ち・影響を受けたギタリスト・プレイスタイルの特徴・使用機材」を深堀ってみたいと思います!

2.NY生まれ、LA育ち

ジョン・フルシアンテは、1970年3月5日生まれ、アメリカのニューヨーク州ニューヨーク・クイーンズ出身です。

ジョン・フルシアンテの父は、ジュリアード音楽院出身のピアニストで、ジョン・フルシアンテの母ゲイルは、将来有望なボーカリストでした。

音楽一家フルシアンテ家は、アリゾナやフロリダなど、生活ベースを転々としますが、ジョンの両親は離婚に至ります。

その後、ジョン・フルシアンテは母と共にカリフォルニア州サンタモニカへ移住。

一年後には、ロサンゼルスの西側に位置するマー・ヴィスタへ拠点を移します。

9歳でジャームス

ジョン・フルシアンテは、9歳でLAパンクバンドのジャームスにハマり、LAパンク・シーンにのめり込んでいきます。

10歳の時にはジャームスのアルバム「(GI)」の収録曲を全てコピーしたほど。

「全て」コピーするあたりが、ジョンの「やりきる気質」を、早くも感じさせます。

そして、ジョン・フルシアンテは、11歳の時に、ジミ・ヘンドリックスをはじめ、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジやデヴィッド・ギルモアなど、ギター・レジェンド達を真剣に聴き漁り吸収していきます。

ジョン・フルシアンテ史がわかるリック・ルービンとの対談

パット・スメア、キャプテン・ビーフハートの話など、ジョン・フルシアンテ本人が語るジョン・フルシアンテ史。リック・ルービンとの対談は必聴です。

音楽のために高校を中退

さらに、ジョン・フルシアンテは、高校に入り更に音楽への情熱が高まると、16歳の時に高校中退を決意します。

母と継父の理解もあり、ジョン・フルシアンテの音楽に対する熱意を後押しするため、ロサンゼルスへ引越しが決まりました。

レッチリとの出会い

ジョン・フルシアンテは、1985年当時、ギターインストラクターに教えてもらいレッチリのライブを初体験します。

これをきっかけに、ジョン・フルシアンテはレッチリに魅了され、例のごとく、ジョン・フルシアンテは、レッチリのギター、ベース、歌詞の全てを暗記したそうです。流石。

10歳の時にジャームスにハマった時と同じパターン。ジョンは「やりきる」重要性を感覚的に知っていたのでしょう。

初めてのバンド活動

1988年にヒレル・スロヴァクが急逝、ヒレルを失ったレッチリは、悲しみの中、新たなメンバーを探すことに。

そんな中行われた、レッチリの新ギタリスト募集オーディションに、足繁くレッチリのライブに通っていたジョンが、応募します。

ジョン・フルシアンテは、オーディションでアンソニーとフリーの度肝を抜き、18歳という若さでレッチリの正式ジョインが決まります。

しかも、ジョンにとって、レッチリが人生初のバンド活動。

ジョンが加入してはじめに制作された「Mother’s Milk」で、バンドは手応えを感じます。

そして、次回作の「Blood Sugar Sex Magik」で大ブレイク。

しかし、この大ブレイクがジョンを苦しめました。

有名になっていくバンド、延々と続くワールドツアー、ジョン・フルシアンテは疲弊し、アンソニーとの確執を深め、1992年に脱退。

レッチリはジョンの後継者探しに苦労し、音楽的フラストレーションにベーシストのフリーは苦しみます。

ジョン不在の現状に業を煮やしたフリーは、「ジョン復帰」を願うようになり、1998年に、オファーしました。

「これ以上幸せなことはない」

フリーのオファーをジョンは泣いて喜んだといいます。

そうしてジョン・フルシアンテはレッチリに奇跡の復帰を果たし、1999年、『カリフォルニケイション』で世界中のファンを再び熱狂させました。

ジョンのギターソロ詰め合わせ

ジョンは「エモーショナルな表現」に重きをおいており、テクニック以上に精神を大事にするギタリストです。

John Frusciante – TOP 10 solos

※ジョンのギターソロ詰め合わせ。

写真で振り返るジョン

ジョンの歴史を写真で振り返ってみよう。

まずは、この動画をどうぞ。

第1期:1988年〜1992年(4年間)

1988年にレッチリ加入。

約4年間のバンド活動の後、1992年に失踪、脱退。

脱退後、ドラッグ中毒とうつ病を患い闘病。

ソロ作品をリリースしたり、絵を描いたりと、クリエイティブな活動は行うも、ドラッグへの依存は悪化。

第2期:1998年〜2009年(11年間)

1998年に奇跡の復帰。

1999年から2006年までの間に3枚のアルバムをリリースし、新生レッド・ホット・チリ・ペッパーズを象徴する史上最高のギタリストとなります。

2009年12月16日、自分自身の音楽への好奇心や創作意欲をもっと深く掘り下げていくために、レッチリを再び脱退。

今回の脱退はメンバーの同意と応援の元、友好的に行われた。

脱退後、ジョンは2012年から2019年の間に、3枚のアルバム、4枚のEP、3枚のシングル、更にはTrickfinger名義で1枚のアルバムと、2枚のEP、ヒップホップユニットのプロデュースなど、数々の作品を製作し、実に創作意欲に溢れた10年間を過ごします。

第3期:2019年〜

そして、2019年にレッド・ホット・チリ・ペッパーズの公式インスタグラムで、まさかのジョン・フルシアンテ再復帰がアナウンスされ現在に至ります。

まさに激動の30年。

エレクトロニック・ミュージック

ジョンが再度レッチリを脱退したのが2009年。

そしてジョンは、音楽をもっと深く掘り下げていくため、多彩なプロジェクトを立ち上げていきます。

多様性が顕著になっていきます。

2010年以降のソロ作品は、複雑なビートがおりなすエレクトロニック・ミュージックへ、傾倒したサウンドメイクになりました。

美しいエレクトロニック・ミュージック。

プログラミングのノウハウを自分自身でトライして学びながら、確実にその表現力の幅は広がりを手に入れていきます。

エレクトロニック・ミュージックを製作する過程においても、ジョンの美しいハーモニーセンスは衰えることなく、さらなる深みを増し、ブレイクビーツやドラムンベースと絡みあう美しいハーモニーを持った作品を数多く発表しました。

トリックフィンガーという名義でのソロ作品のリリースや、ヴェネチアン・スネアズことアーロン・ファンクとの共同作業によるプロジェクトなど、2010年以降も多作の天才ぶりを発揮し、往年のファンを気にせず躊躇のない挑戦を続けていきます。

2019年レッチリに再復帰したとはいえ、ソロによる音楽製作も継続しており、2020年10月23日には、ジョン・フルシアンテ名義11枚目のソロ作品「マヤ(Maya)」のリリースがあり、ファンを翻弄し続けています。

3.ジョンのルーツ・プレイスタイルの特徴・使用機材

ジョンが影響を受けたギタリスト

9歳でジャームスにはまり、11歳でジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、デヴィッド・ギルモア、ジミ・ヘンドリックスを熱心に研究し、15歳でレッチリのライブを目の当たりにし、18歳でレッチリのギタリストに。環境も影響したとは思いますが、とても壮絶ですね。

研究熱心なのは少年時代から、「ジョン・フルシアンテが影響を受けたギタリスト」にジョンの音楽ルーツをまとめました。

ジョンのプレイスタイルの特徴

ファンキーでエネルギッシュなレッチリに、メロウな要素を添え、美しくキャッチーなメロディセンスやハーモニーセンスでレッチリを大ブレイクさせたジョン・フルシアンテ。

ジョンの魅力を「ジョン・フルシアンテのプレイスタイル」にまとめました。

ジョンの使用機材

ジョンの歴代機材は「ジョン・フルシアンテの使用機材」にまとめました。

また、こちらの「ジョン・フルシアンテ音作り」も、お役に立てたら幸いです。無料です。

ジョンのソロ活動

ジョン・フルシアンテの多彩なソロ活動は「ジョン・フルシアンテのソロアルバム」にまとめました。

4.まとめ

ジョン・フルシアンテはミュージシャンであり、Timelessなアーティスト。

ジョン・フルシアンテのように、世界を虜にするほどの人気ギタリストが、ギターを置いてエレクトロニック・ミュージックに10年を捧げたという事実。ジョン・フルシアンテの「創作意欲と挑戦し続ける姿勢」に、「真のクリエイティブなアーティスト」として尊敬。

ジョン・フルシアンテは、レッチリではストラトキャスターの可能性を追求しています。

そのため、レッチリでの活動では、ヴィンテージの「ストラトキャスター&マーシャル・アンプ」が必須。

しかし、ソロではエイフェックス・ツインや、ヴェネチアン・スネアズのような、複雑でテクニカルで、一部の天才にしかなし得ないようなエレクトロニック・ミュージックを、徹底的に追求し、消化し、体得している。

一般的に、ギタリストはギターを追求しがち。でもジョン・フルシアンテは、音楽を探求し追求している。

これって、人気ギタリストとしては、極めて珍しいし奇異なことですよね。シーケンサーや、モジュール・シンセを「同期したり・追求したり」する人気ギタリストは、今まで存在しなかったと思います。

つまり、ジョン・フルシアンテは、楽器に囚われることなく、オープンマインドで音楽を愛し、追求している。

ジョン・フルシアンテはオープンマインドだからこそ、アンソニーとフリーとも、始めから馬が合ったんだと思います!

流行りに走らず、あくまで、自分自身のクリエティビティを放出している。徹底的に追求した創作は、Timeless=時代を超越する。

※下記もあわせてどうぞ。

今日は以上です。

skでした。

最後まで読んでくださりありがとうございます!

記事が参考になりましたら幸いです。

深みを増した極上のグルーヴ


グレイテスト・ヒッツ
ワーナーミュージック・ジャパン
グレイトの最上級、それがグレイテスト。必聴だよ。

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