ジョン・フルシアンテとは?【結論:非典型的・非凡】

本記事では、ジョン・フルシアンテの経歴、影響を受けた音楽、プレイススタイル、機材を解説していきます。

ジョン・フルシアンテとは、非典型的、かつ、非凡なアーティストです。

単に、「ギタリスト」の枠に収めることは不可能

気楽にお楽しみください。
Enjoy.

各項目へ進む場合は、目次からどうぞ。

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毎日音楽に励まされて生きています。
音楽も、音楽家も、わたしにとっては刺激そのもの。

プロフィール詳細

1.幼少期〜レッチリ加入、脱退、そして再復帰

ジョン・フルシアンテは、1970年3月5日生まれ、アメリカのニューヨーク州ニューヨーク・クイーンズ出身です。

ジョン・フルシアンテの父は、ジュリアード音楽院出身のピアニストで、ジョン・フルシアンテの母ゲイルは、将来有望なボーカリストでした。

音楽一家フルシアンテ家は、アリゾナやフロリダなど、生活ベースを転々としますが、ジョンの両親は離婚に至ります。

その後、ジョン・フルシアンテは母と共にカリフォルニア州サンタモニカへ移住。

一年後には、ロサンゼルスの西側に位置するマー・ヴィスタへ拠点を移します。

9歳でジャームス

ジョン・フルシアンテは、9歳でLAパンクバンドのジャームスにハマり、LAパンク・シーンにのめり込んでいきます。

10歳の時にはジャームスのアルバム「(GI)」の収録曲を全てコピーしたほど。

「全て」コピーするあたりが、ジョンの「やりきる気質」を、早くも感じさせます。

そして、ジョン・フルシアンテは、11歳の時に、ジミ・ヘンドリックスをはじめ、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジやデヴィッド・ギルモアなど、ギター・レジェンド達を真剣に聴き漁り吸収していきます。

音楽のために高校を中退

さらに、ジョン・フルシアンテは、高校に入り更に音楽への情熱が高まると、16歳の時に高校中退を決意します。

母と継父の理解もあり、ジョン・フルシアンテの音楽に対する熱意を後押しするため、ロサンゼルスへ引越しが決まりました。

レッチリとの出会い

ジョン・フルシアンテは、1985年当時、ギターインストラクターに教えてもらいレッチリのライブを初体験します。

これをきっかけに、ジョン・フルシアンテはレッチリに魅了され、例のごとく、ジョン・フルシアンテは、レッチリのギター、ベース、歌詞の全てを暗記したそうです。流石。

10歳の時にジャームスにハマった時と同じパターン。ジョンは「やりきる」重要性を感覚的に知っていたのでしょう。

初めてのバンド活動

1988年にヒレル・スロヴァクが急逝、ヒレルを失ったレッチリは、悲しみの中、新たなメンバーを探すことに。

そんな中行われた、レッチリの新ギタリスト募集オーディションに、足繁くレッチリのライブに通っていたジョンが、応募します。

ジョン・フルシアンテは、オーディションでアンソニーとフリーの度肝を抜き、18歳という若さでレッチリの正式ジョインが決まります。

しかも、ジョンにとって、レッチリが人生初のバンド活動。

ジョンが加入してはじめに制作された「Mother’s Milk」で、バンドは手応えを感じます。

そして、次回作の「Blood Sugar Sex Magik」で大ブレイク。

しかし、この大ブレイクがジョンを苦しめました。

有名になっていくバンド、延々と続くワールドツアー、ジョン・フルシアンテは疲弊し、アンソニーとの確執を深め、1992年に脱退。

レッチリはジョンの後継者探しに苦労し、音楽的フラストレーションにベーシストのフリーは苦しみます。

ジョン不在の現状に業を煮やしたフリーは、「ジョン復帰」を願うようになり、1998年に、オファーしました。

これ以上幸せなことはない

フリーのオファーをジョンは泣いて喜んだといいます。

そうしてジョン・フルシアンテはレッチリに奇跡の復帰を果たし、1999年、『カリフォルニケイション』で世界中のファンを再び熱狂させました。

ジョンのギターソロ TOP10

ジョンは、「エモーショナルな表現」に重きをおいており、テクニック以上に精神を大事にするギタリストです。

下記の動画は、ジョンのギターソロだけを集めたもの。

内容は下記のとおり。

  • 10 : Search And Destroy / 2001
  • 9 : If You Have To Ask / 1999
  • 8 : Jam Session / 2003
  • 7 : What It Soul / 2001
  • 6 : Californication / 2007
  • 5 : Throw Away Your Television / 2004
  • 4 : Parallel Universe / 2003
  • 3 : Don’t Forget Me / 2006
  • 2: Jam Session / 2007
  • 1 : Best Solo!!
John Frusciante – TOP 10 solos

写真で振り返るジョン

ジョンの歴史を写真で振り返ってみよう。

まずは、この動画をどうぞ。

第一期:1988年〜1992年(4年間)

1988年にレッチリ加入。

約4年間のバンド活動の後、1992年に失踪、脱退。

脱退後、ドラッグ中毒とうつ病を患い闘病。

ソロ作品をリリースしたり、絵を描いたりと、クリエイティブな活動は行うも、ドラッグへの依存は悪化。

第二期:1998年〜2009年(11年間)

1998年に奇跡の復帰。

1999年から2006年までの間に3枚のアルバムをリリースし、新生レッド・ホット・チリ・ペッパーズを象徴する史上最高のギタリストとなります。

2009年12月16日、自分自身の音楽への好奇心や創作意欲をもっと深く掘り下げていくために、レッチリを再び脱退。

今回の脱退はメンバーの同意と応援の元、友好的に行われた。

脱退後、ジョンは2012年から2019年の間に、3枚のアルバム、4枚のEP、3枚のシングル、更にはTrickfinger名義で1枚のアルバムと、2枚のEP、ヒップホップユニットのプロデュースなど、数々の作品を製作し、実に創作意欲に溢れた10年間を過ごします。

第三期:2019年〜

そして、2019年にレッド・ホット・チリ・ペッパーズの公式インスタグラムで、まさかのジョン・フルシアンテ再復帰がアナウンスされ現在に至ります。

まさに激動の30年。

エレクトロニック・ミュージック

ジョンが再度レッチリを脱退したのが2009年。

そしてジョンは、音楽をもっと深く掘り下げていくため、多彩なプロジェクトを立ち上げていきます。

多様性が顕著になっていきます。

2010年以降のソロ作品は、複雑なビートがおりなすエレクトロニック・ミュージックへ、傾倒したサウンドメイクになりました。

美しいエレクトロニック・ミュージック。

プログラミングのノウハウを自分自身でトライして学びながら、確実にその表現力の幅は広がりを手に入れていきます。

エレクトロニック・ミュージックを製作する過程においても、ジョンの美しいハーモニーセンスは衰えることなく、さらなる深みを増し、ブレイクビーツやドラムンベースと絡みあう美しいハーモニーを持った作品を数多く発表しました。

トリックフィンガーという名義でのソロ作品のリリースや、ヴェネチアン・スネアズことアーロン・ファンクとの共同作業によるプロジェクトなど、2010年以降も多作の天才ぶりを発揮し、往年のファンを気にせず躊躇のない挑戦を続けていきます。

2019年レッチリに再復帰したとはいえ、ソロによる音楽製作も継続しており、2020年10月23日には、ジョン・フルシアンテ名義11枚目のソロ作品「マヤ(Maya)」のリリースがあり、ファンを翻弄し続けています。

2.影響・スタイル・機材

影響を受けたギタリスト

9歳でジャームスにはまり、11歳でジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、デヴィッド・ギルモア、ジミ・ヘンドリックスを熱心に研究し、15歳でレッチリのライブを目の当たりにし、18歳でレッチリのギタリストに。環境も影響したとは思いますが、とても壮絶ですね。

研究熱心なのは少年時代から、「ジョン・フルシアンテが影響を受けたギタリスト」にジョンの音楽ルーツをまとめました。

プレイスタイルの唯一性・独創性

ファンキーでエネルギッシュなレッチリに、メロウな要素を添え、美しくキャッチーなメロディセンスやハーモニーセンスでレッチリを大ブレイクさせたジョン・フルシアンテ。

ジョンの魅力を「ジョン・フルシアンテのプレイスタイル」にまとめました。

使用機材

ジョンの歴代機材は「ジョン・フルシアンテの使用機材」にまとめました。

また、こちらの「ジョン・フルシアンテ音作り」も、お役に立てたら幸いです。無料です。

ソロ活動

ジョン・フルシアンテの多彩なソロ活動は「ジョン・フルシアンテのソロアルバム」にまとめました。

3.結論、非典型的・非凡

ジョン・フルシアンテは、決して典型的なギタリストではありません。

とはいえ、ジョン・フルシアンテは、世界を虜にするほどの人気ギタリスト

ジョン・フルシアンテは、レッチリではストラトキャスターの可能性を追求する一方で、ソロではエイフェックス・ツインや、ヴェネチアン・スネアズのような、複雑でテクニカルで、一部の天才にしかなし得ないようなエレクトロニック・ミュージックを、徹底的に追求し、消化し、体得している。

一般的に、ギタリストはギターを追求し、シーケンサーや、モジュール・シンセを同期したり追求したりはしないのです。

つまり、ジョン・フルシアンテは、ギターという楽器に囚われることなく、音楽と自由に向き合い、オープンマインドで音楽を愛し、追求する非典型的、かつ、非凡なアーティストです。

そして、なにより、ジョン・フルシアンテはちっとも商業的な香りがしないところも、好感度が高い。

ジョン・フルシアンテはオープンマインドだからこそ、アンソニーとフリーとも、始めから馬が合ったんだと思います!

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