この記事では、レッチリ(Red Hot Chili Peppers)のフロントマン、Anthony Kiedis(アンソニー・キーディス)の特徴を「5分で解説」していきます。
記事の後半では、アンソニーのクリエイティブな側面を特集しています。
深く知りたい方は併せてお楽しみください。
※目次もご活用くださいませ。
深みを増した極上のグルーヴ
WARNER RECORDS
深みを増した極上のグルーヴ序章
WARNER RECORDS
深みを増した極上のグルーヴ続編
Music ∞♡ / Jazz / Punk / Rock / Funk / Electronic Music 1984年生まれ。東京在住。
プロフィール詳細
1.5分で解るアンソニー・キーディス
アンソニー・キーディスとは、世界が認めるロックバンド、Red Hot Chili Peppersを35年以上支えてきたフロントマンです。
まずは、5分で読めるアンソニーの魅力をどうぞ!
1.筋肉とタトゥー
まず1つ目、アンソニーの筋肉とタトゥーに関して。
アンソニー・キーディスは、身長175cm。高確率で半裸なので、マッチョなイメージもたれてる方、多いと思います。
筋肉に関しては、「筋トレ」で詳しくまとめておりますので、目次から飛んでくださいませ。
では早速、最初にアンソニーのタトゥーからチェックしていきましょう!
アンソニーは、両上腕(ネイティブアメリカンのモチーフ、ボルネオフラクタルのモチーフ)、背中(インカorハイダのモチーフ)、右手首(アステリスク)、両前腕・肘側(ダガーモチーフ)、両前腕・表(右腕に虎、左腕に鯉)、そして右脇腹(ピラミッド)にタトゥーが入っております。
※デビュー初期はまだタトゥーはなく、4thアルバム前後から増え始めます。
ちなみに、アンソニーやフリーのタトゥーを手掛けているのは、下記のオランダ人タトゥー・アーティストのヘンク・シフマッヒャー氏(Henk Schiffmacher)。
アンソニーとヘンク氏。(奥に売れっ子プロデューサーのアンドリュー・ワットがいらっしゃいますね)
アンソニーが最初に入れたタトゥーは、右上腕、ネイティブアメリカンモチーフ。
このタトゥーは、シッティング・ブル(Sitting Bull)という、ネイティブアメリカ人がモチーフになっており、シッティング・ブルさんはハンクハパ族の戦士であり、呪術師です。
つぎ、2番目に入れたタトゥーは、左上腕。シッティング・ブルと同じく、ネイティブアメリカンモチーフ。
チーフ・ジョセフ(Chief Joseph)という、ネイティブアメリカ人がモチーフで、チーフ・ジョセフさんはネスパース族の大酋長です。
そして、背中のタトゥーは3番目のタイミングで彫り始めたと思われており、このデザインモチーフは「インカ・アステカのファルコン・モチーフ」、または、「カナダ・ハイダのサンダーバード・モチーフ」と、諸説あり。アンソニーはこのデザインモチーフを、下記の動画で「北西太平洋地域のデザイン」と説明しています。
There are various online interpretations as to the origin of the design. The most common views are that it is of an Inca/Aztec falcon but some people claim it is a Haida thunderbird or a totem pole design. In a video, Anthony states that it is a design from the north-west Pacific area.
出典:Anthony Kiedis: Tattoos
※「In a video」=下記動画(2:18からアンソニーによるタトゥー解説)
それと、フリーのタトゥーも、ヘンクの作品。
※全て「ヘンクの作品」ということではないみたいです
余談ですが、アンソニーがタトゥーを入れる以前から、ベーシストのフリーは右上腕にイルカ、左上腕にジミ・ヘンドリックスのタトゥーを入れています。下記の3rdアルバム収録Fight Like a BraveのMV(間奏に入る1:50あたりが確認しやすい)でわかるとおり、1987年時点、まだアンソニーはノー・タトゥーです。
Fight Like a Braveの2年後1989年、4thアルバム収録Knock Me DownのMVでは、さきほど解説した両上腕のネイティブアメリカン・モチーフ、そして、アンソニーを象徴する背中に施されたタトゥーが確認できます。
右手首のアステリスクは4番目。
各デザイン、サイズとバランスが絶妙。そしてレイアウトも綺麗なのでとても素敵ですね!
※こちらの「Anthony Kiedis: Tattoos」に英文ですが詳しくまとめられています。
2.Sox on Cxx
そして小話2つ目。
レッチリと言えば、これです、はい。
お馴染み、Sox on Cxxですね。
アンソニーが考案したことで有名なこちらの一品は、日本では、通称チン○ソックスの名称で親しまれており、レッチリの奇想天外なステージ衣装の中でもトップクラスの完成度を誇る作品となってございます。
英語圏では、Socks on Coc○s、Sox on Co○、で表現されています。
※うまいこと韻キメてるね!
そもそも、このアイディアを思いついたのは、「アンソニーに好意を抱く」とある女性に対して、アンソニーがその執拗なアプローチを断ち切る術として考案されたことが始まりなんだそう。(アンソニーの自宅にその女性が着た際に、チン○ソックス姿で出迎えたと、自伝にあり)
なお、ステージ衣装としてのチン○ソックスの起源は、レッチリデビュー前の1983年7月。キット・カット・クラブというストリップ・クラブでライブを行った際に、クラブ側の計らいでレッチリの演奏中にストリップのダンサーがステージで踊ってくれることになり、「だったら」ということでイチモツにスポーツソックスを被せて演奏したのが最初。
アンソニー流の美学=ユーモアに基づく一品。
下記の動画で、その「衣装」をお確かめいただけます。
3.モテる
小話3つ目は、アンソニーがモテる件。
これもレッチリが好きな方には有名な話。
実際のところ、かなりの女性と交際してきていることは、自伝にも赤裸々に綴られています。
なので、もちろん「モテる」わけですが、一方で、アンソニー自身が女性に対して「好奇心旺盛」。
というか、「興味が尽きない」ということもあり、現在も独身であります。
なお、「アンソニー自伝」を読むかぎり、アンソニーが遊び人かというと、そうでもなく、結構真面目にその都度交際している印象を受けたりします。そして、その純粋な気持ちは、歌詞となり、数々の名曲の土台となっています。
また、下記のとおり、アンソニーは過去に交際していたモデルのヘザー・クリスティとの間に、息子(エバリー・ベア・キーディス)がおります。
「お母さん似」だね!
ファッションブランド「マーク・ジェイコブス」の2015AWコレクションにもキャンペーン広告に親子で抜擢されてました。
アンソニーとヘザー・クリスティは結婚しませんでしたが、円満にお互いを理解したうえで、それぞれの道を歩んでいます。
母親は、アンソニーとの年の差が23歳(!)ということでも話題になっていた21歳のモデル、ヘザー・クリスティーで、10月2日にLAの病院で無事出産。
出典:RED HOT CHILI PEPPERSのフロントマン、ANTHONY KIEDISに第一子が誕生
ちなみに、当時アンソニー44歳、アンソニーは1962年生まれなので、息子のエバリー・ベア・キーディスは2006年生まれになります。そして、母(180cm)の遺伝子なのか、既にアンソニーより高身長ですね。
また、「エバリー」はアンソニーが敬愛するバンド、エバリー・ブラザーズから拝借しており、「ベア」は母ヘザーが付けたとのこと。
アンソニーらしい!
以上、5分で解るアンソニー小話3選でした!
その他のRed Hot Chili Peppers関連記事はこちら
» 「All of Red Hot Chili Peppers【レッチリのすべて】」
さらにアンソニーを知りたいという方は下記も読み進めてみてくださいね。
実はアンソニー、めちゃめちゃ頭がいい。しかも、心も体も超頑丈。でも、実は繊細で、優しく、痛みがわかる人。
2.アンソニーの神秘・伝説3選
「アンソニー 凄さ」などで、アンソニー・キーディスを検索する方がいるほど、アンソニー・キーディスには「凄い」と言われている伝説があります。
ここからは、そんなアンソニーの伝説を3つチェックしていきましょう!
1.実はめっちゃ頭がいい
では、まず1つ目。アンソニーは実はめっちゃ頭がいい。
アンソニー・キーディスは、破天荒な人生を謳歌していますが、実はめちゃめちゃ頭がいいです。
というのも、「ただの悪ガキ」ではモノ足りず、「悪ガキだけど隙を見せない」という強い意思が幼少期からあり、悪童ながら好成績でした。
どれほど、好成績かというと、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(通称UCLA)に入学したぐらいに、好成績でした。実父のジョン・キーディスもUCLA。
(入学後、校風が肌に合わず、卒業はしていない)
ちなみに、QS World University Rankingsによれば、2022年の世界大学ランキングは、第1位が、MIT(マサチューセッツ工科大学)、ハーバード第5位、UCLA第40位。
※QS World University Rankingsは、高等教育の世界的評価機関QS Quacquarelli Symonds社が運営しているランキング
ロンドン、2021年6月9日:高等教育の世界的評価機関であるQS Quacquarelli Symonds社が、世界で最も参考にされている世界大学ランキング(第18版)を本日発表しました。
出典:PR TIMES
そして、UCLAの第40位がどれほどかというと、国内1位の東京大学が第23位で、つづいて国内2位の京都大学が第33位、大阪大学が第75位(国内4位)、国内私大1位の慶應義塾大学は第201位となっており、第40位の目安が何となくおわかりいただけるのではないかと思います。
とはいえ、大学ランキングはあくまで大学ランキングであって、人の価値は決して測れるものではありませんので、あくまでご参考までに!
2.ドラッグ・アディクト
つぎ、2つ目は、ドラッグ・アディクト。
アンソニー・キーディスとドラッグは、深い深い繋がりがあります。
アンソニーにとって、薬物中毒は避けて通れない問題でした。
そんなアンソニーの何が凄いって、アンソニーは深刻な薬物中毒だったにも関わらず、症状を抱えたままレッチリとして世界を席巻し続け、更生しては誘惑の呪縛と戦い、さらに、今なお健在だ、というところでしょう。
薬物中毒に関しては精神面への影響も、大きいとされていますが、同時に身体への影響も大きく、まるで健康優良児なアンソニーを見る限り、「身体の強靭さ」も伝説的。
アンソニーは、1974年、12歳のときに、父が住むカリフォルニアに引っ越しており、引っ越してから僅か3日後には、父の誘惑でジョイントによる「ハイ」を経験しており、中3でLSD・コカ・ヘロ、そしてアンソニーはレッチリデビュー以降も、さらには、カリフォルニケイションやバイ・ザ・ウェイのレコーディング機関も、影響から逃れることはできていなかった。
※この辺の詳細はアンソニーの自伝「Scar Tissue」で、ぜひお確かめください。
3.桁外れに頑丈
最後、3つ目。
3つ目は、2つ目とやや重複しますが、アンソニーは、とにかく頑丈です。
たとえば、アンソニーは15歳の時にマンションから隣接されたプール目掛けて飛び込もうと、勢いよく飛んだ結果、プールよりも遠くに飛んでしまい、かかとから落下、そして背骨を骨折し、脊椎を損傷しています。にも関わらず、復活している。
(プールが切手サイズに見えるほどの高所からの飛び込みだったそうです、クレイジーすぎる、、)
さらに、下記の動画でも骨折していますが、プロのパフォーマンスを見せつけています。この映像は、1997年の第1回目のフジロックの模様。会場は、山梨県にある富士天神山スキー場(旧称)。レッチリは1日目の大トリでした。
この日の演奏は、まさに「伝説」とされているパフォーマンスで、大型台風が直撃する中、アンソニーは骨折中だったためギブス姿。ですが、これほどまでに条件が悪く、強烈な雨風に晒されている状況にも関わらず怯まず、プロのパフォーマンスを見せつけた。
回復中のアンソニー。アンソニー・キーディス、デヴィッド・ボウイ、ジョニー・デップ、奇跡の3ショット。
骨折もなんのその。
(とはいえ、もちろん、ものすごく痛いとは思いますが。さすがです。)
この状況で「どうも〜ありがとうございます」と日本語で会場へ伝えるアンソニー。心身ともに桁外れに頑丈。
格好いいね!
ではここからは、アンソニー・キーディスの生い立ちを見ていきましょう!
3.ミシガン生まれハリウッド育ち
アンソニー・キーディスは、1962年11月1日生まれ、アメリカのミシガン州グランドラピッズ出身です。
破天荒で好奇心旺盛な幼少期、好奇心の旺盛さは並じゃありませんでした。
父のジョン・キーディスの影響が大きく、あらゆる刺激を片っ端から「やってみる」。そういう少年でした。
なにげにお揃いのコルテッツ履いてるあたりに絆を感じます。顎の形状がそっくりですね。
自伝を読むとよくわかりますが、アンソニーは幼少時から「生き様」へのこだわりが非常に強く、「痛み」にめげず、超絶ポジティブ・マインドなんですよね。
そして、LAのフェアファクス高校でフリーとヒレルに出会います。
フリーとヒレルはアンソニーにとって大親友であり、最高の遊び仲間でした。
彼らは、バンド活動を始め、21歳のときにレッチリを結成。
翌年22歳でメジャーデビューしたレッチリの中心人物、それが、アンソニー・キーディスです。
1.レッチリ=アンソニー
アンソニーって、レッチリの核なんです。
つまり、アンソニー抜きにレッチリは存在していません。
アンソニーは楽器が出来たわけでも、特段歌に自信があったわけでもありませんでしたが、ラップとの出会いで、自分なりの表現方法を、音楽を通して手に入れていきます。
アンソニーは学生時代から、文章能力が長けていました。そのレベルは教師が称賛していたほど。結果的にUCLAに行くほどですからね。
彼はその持ち前の文章能力を生かして歌詞を書き、試行錯誤しながら発展させたラップスタイルで、自己流で唯一無二の存在を確立していきました。
日本では「ミクスチャー」というカテゴリーで括られがちですが、本国でファンク・ロック、ラップ・ロックと言われていたように、レッチリが取り入れ表現した音楽には独自のスタイルがあります。
その多くは3つの要素からできており、1.ヒレルが演奏するジミヘン直系のサイケデリックフレイバー、2.フリーが演奏する当時ロック界隈では珍しかったスラップ奏法によるファンクベース、そして、3.アンソニーの才能あふれるライムセンスとラップ、これらが組み合わさることで、独自の音楽を、レッチリは鳴らしています。
そして、このレッチリのスタイルを形作るロックやヒップホップの要素は、それぞれの文脈を無視することなく、歴史に敬意を払いつつ、桁外れのユーモアセンスでアレンジされているため、極めてアカデミックな音楽だと、私は思って楽しんでます。
それらの舵取りに、アンソニーの存在が不可欠なんですね。親分ですね。
2.筋トレ
アンソニー・キーディスといえば、筋肉。
しかし、デビュー初期のアンソニーは痩せ型でした。
下記の写真は、アンディ・ウォーホルが1984年に撮影したアンソニー・キーディス。アンソニー、当時22歳。
アンソニーの自伝を読む限り、マチズモではなさそうです。
それと、アンソニーは以前は菜食主義でした。
どちらかというと、「メリハリをつける」ために筋トレしてそうな。「美しさ」のために。
アンソニーの自伝を読む限り、山や川、海、空など、「自然の美しさ」を好むようなので、その延長上に筋トレがあるのではないかな?と思います。
「自然の美しさ」を好むからこそ、青空で満たされたカリフォルニアが大好きなのでしょうね。
アンソニーのマッチョな外見は、自分自身の健康と精神の鍛錬の結果なのかな?とも、ぼくは解釈しています。
下記の動画は、せっせとプッシュアップをするアンソニー。
アンソニーが下記の動画でしているプッシュアップは、腕の幅を広めに構えているので、主に胸の筋肉を刺激します。テンポ早めのプッシュアップなので、そこまで大きい負荷は与えていなそうです。
そのため、この筋トレは、アンソニーのあの体型を紐解く一因といえそうです。
ちなみに、筋トレは、休息と補給をしっかり行うことで効果を最大化できます。
筋トレ後30分以内と、就寝前にプロテイン(タンパク質)を摂取すると効果を最大化できます。マイプロテインなら安いですし、スイーツ感覚で飲めてしまうので、取り入れやすいかと思います。
僕もちょっと腕と胸周りを鍛えたくて、筋トレ後と、寝る前に飲んでます。クッキー&クリーム味がお気に入りです。アンソニーは、プロテインとか嫌いそうですけどね。
筋トレ(自重も、マシンも)するのであれば、プロテインを飲むほうが、回復も早く、スムーズなので、トレーニングを継続しやすくなります。
下記のアンソニーは、パンプ後でしょうか、胸筋と上腕二頭筋(力こぶ)がけっこう張ってますねー。
3.激動すぎる半生
アンソニーの自伝「Scar Tissue」には、生い立ち、家族、友情、恋愛、ドラッグなど、アンソニーの半生が赤裸々に綴られており、相当おもしろいです。
あまりにも一生懸命なので、超クレイジーにも見えますが、愛おしくなります。
フリー自伝も併せてどうぞ。フリー目線でアンソニーのことがわかるかも。
4.映画俳優
父の影響を強く受けたアンソニーは、持ち前のセンスを生かして「俳優業」もなんのその。
「 デトロイト 」で話題のキャスリン・ビグロー監督作品で、1991年公開のキアヌ・リーブス主演映画「ハートブルー(原題:Point Break)」にも出演しています。
5.成長記録
血色の良い時期も悪い時期も、ロン毛の時も変な髪形の時も、常にストリートに根付いて前進し続けたアンソニー・キーディス。
6.徹底した地元愛
アンソニーは地元を大事にしています。
地元愛その1、レイカーズ愛。レイカーズ・キャップは、フリーもよく被ってます。
地元愛その2、ドジャース愛。ドジャース・キャップ。
地元愛その3、サーフィン愛。こちらは映画「BUNKER77」。西海岸つながりでもあり、
「BUNKER77」はバンカー・スプレックルスの生涯を描いたドキュメンタリー映画で、監督は桝田琢治氏。
地元愛その4、レイダース愛。82年〜94年まで本拠地がロサンゼルスだったレイダース。レイダース・キャップはファッションアイテムとしても昔から根強い人気がありますね。
地元愛その5、レッチリ愛。この二人の愛情があるからこそ、レッチリは未だ現役。
仲良く二人で着ているこのレッチリTシャツは、強烈なアニメーションMV「Sick Love」の映像監督に抜擢されたDu Blondeこと、ベス・ジーンズ・ホートンがデザインを手掛けています。
4.影響・歌詞・スタイル
ここからは、アンソニー・キーディスの音楽性を紐解くコーナーになります。
それぞれの項目を深堀りする記事へのリンクを用意していますので、興味のある方は併せてご活用ください。
1.影響を受けた音楽
アンソニーは、パンクです。それは、音楽性に限らず、正真正銘、生き様がパンク。
そんなアンソンーが、「特に強い影響を受けたバンド」を、まとめました。お役に立てたら幸いです。
※下記もあわせてどうぞ!
2.歌詞の唯一性・独創性
アンソニーの歌詞は、言葉遊びが独創的でありながら、聞き手にすっと入り込む、人懐っこさがあります。
つい口ずさんでしまう、耳馴染みの良い言葉。ぜひ「アンソニーの歌詞のおもしろさ」も覗いていただきたい。
3.ボーカルスタイルの唯一性・独創性
アンソニーは、バンド結成当時、特段、歌唱に自信があったわけではないんです。
むしろ苦手意識があり、そんな中出会ったのが、Grandmaster Flash。
アンソニーの独創的なラップスタイルはいかにして生まれたのか。「アンソニーのボーカルスタイルのおもしろさ」も参考になりましたら幸いです。
» 参考:アンソニーのボーカルスタイルのおもしろさ
5.結論、超人だった
アンソニー・キーディスは結論、「超人」ってことでよさそうですね。
伝説の塊。
目的はクールの追求、その手段が音楽だった。
実はそれが「ロックの本質」って思いませんか?
アンソニーは「クール」を追求しているからこそ「手段」を妥協しないのでしょうね。
※下記もあわせてどうぞ。
※アンソニーとギター。
※もし「続けられるか心配だなあ」という方は一度レンタルして触れてみるのがおすすめですよ。実際に触ると色々わかったりするものです。レンタルギターに興味がある方は下記も参考になるかと思います。
今日は以上です。
skでした。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
記事が参考になりましたら幸いです。
※深みを増した極上のグルーヴ
WARNER RECORDS
深みを増した極上のグルーヴ序章
ワーナーミュージック・ジャパン
グレイトの最上級、それがグレイテスト。必聴だよ。
※下記もあわせてどうぞ。
※下記もおすすめです。
※下記は「アンソニーの半生=レッチリの歴史」がぎゅっと詰まったアンソニー・キーディス自伝。各メンバーの「出会い」「別れ」「制作の裏側」など、興味深い逸話のオンパレード。めっちゃ面白いので1度は読んでみてほしい1冊。
シンコーミュージック
貴重なプライベート写真も満載した、ファン必携の一冊です。
なにしろ、アンソニーは非典型的。
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