本記事は、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(レッチリ、Red Hot Chili Peppers)1980年代の名曲を解説します。
※目次もご活用くださいませ。
深みを増した極上のグルーヴ
1.80年代の5曲
Red Hot Chili Peppers(以下レッチリ)は80年代にアルバムを4枚リリースしています。
レッチリは初期からファンク・パンク・ラップを独自のバランス感で演奏していますが、80年代はとりわけ「エネルギッシュ!」と表現されることが多いです。
下記は、「エネルギッシュ!」で、かつ、独創的な名曲5曲になります。
- Out In L.A.
- Mommy Where’s Daddy
- Blackeyed Blonde
- Behind The Sun
- Knock Me Down
では、それぞれ見ていきましょう!
2.Out In L.A.
まず1曲目は、Out In L.A.です。
Out In L.A.は、特にアンソニーのラップが、初期アンソニーらしく、Grandmaster Flashを感じさせるラップが特徴的。
フリーのゴキゲンベースも、荒削りながら軽快にスラップを織り交ぜたりと、レッチリの土台的スタイルを垣間見るOut In L.A.。
楽曲タイトル | アウト・イン・LA(Out In L.A. / Demo) |
収録アルバム | ザ・レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(The Red Hot Chili Peppers) |
作曲者 | アンソニー・キーディス、フリー、ヒレル・スロヴァク、ジャック・アイアンズ |
演奏メンバー | アンソニー・キーディス(v)、フリー(b)、ヒレル・スロヴァク(g)、ジャック・アイアンズ(ds) |
プロデュース | レッド・ホット・チリ・ペッパーズ |
聴きどころ
Out In L.A.の聴きどころは、全体にあふれる「ゴキゲンなグルーヴ」。
パーティー狂が作った最高の1品。
初期のレッチリらしい「エネルギッシュ!」で、軽快で、ファンキーなグルーヴに身を任せ、楽しみたい。
アンソニーは、当時、取り憑かれたようにハイになることに夢中だった。
ちなみに、Out In L.A.は、デビュー前に作った曲のため、デビュー前のデモテープにも収録されてます。
あと、デモ音源は結成メンバーで演奏しています。
1stアルバムは、結成メンバーのヒレルとジャックが参加してないのです。
レッチリは、高校の仲良しメンバーで結成したバンドですが、レッチリ結成当時からヒレル&ジャックは別バンドでも活動していました。
ヒレル&ジャックは、別バンドのデビューに集中するため、レッチリのデビュー前に脱退!
アンソニー&フリーは、ヒレル&ジャックが、デビュー前に脱退して、めちゃくちゃガッカリして、絶望します。
相当がっかりしたと思う。でも、そこで諦めないのが、アンソニー&フリー。
そんな状況だったため、デビュー・アルバムにはオーディションで集めたメンバーが参加しており、絶望前の結成メンバーで作ったデモテープの音源は、アンソニー&フリーにとって非常に思い入れの強い音源と思われます。
下記は、オランダ最大のロック・フェスティバル、ピンクポップ・フェスティバルに出演した1990年のOut In L.A.。90年なので、ギターはジョン、ドラムはチャドです。
愚直なまでにファンクとパンクを体現し続けるレッチリ。90年代前半も、依然として「エネルギッシュ!」ですね。
さらに下記は、2017年2月12日に、Wells Fargo Centerで行ったThe Getaway World Tourフィラデルフィア公演での、Out In L.A.です。高速Out In L.A.。2017年てことは、アンソニー&フリーは、55歳。
55歳を過ぎても年間150本以上のライブを全力でやりきるレッチリの勇姿。不滅の「エネルギッシュ!」です。
*おまけ*(トニー&マイク)
変わんないねー笑
3.Mommy Where’s Daddy
つぎに、2曲目は、同じく1stアルバムから、Mommy Where’s Daddy。
Mommy Where’s Daddyは、フリーのベースも、ホーンアレンジも相まって、ジャジーな味付けが特徴的。
アダルトなレッチリサウンド、怪しさ全開のラップ。
タイトル | 「マミー・ウェアズ・ダディー」(Mommy Where’s Daddy) |
収録アルバム | ザ・レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(The Red Hot Chili Peppers) |
作曲 | アンソニー・キーディス、フリー、クリフ・マルティネス、ジャック・シャーマン |
演奏メンバー | アンソニー・キーディス(v)、フリー(b)、ジャック・シャーマン(g)、クリフ・マルティネス(ds) |
プロデュース | アンディ・ギル |
聴きどころ
Mommy Where’s Daddyの聴きどころは、クールなベースライン。
アルバムのコーラスパートは、R&Bシンガーのグウェン・ディッキーが担当しています。
下記のMommy Where’s Daddyは、ど頭のクレイジーなギターも聴きどころ。
さらに下記は、2015年のサンディエゴ公演でのMommy Where’s Daddy。
レッチリは初期の楽曲を、最近でも演奏してます。
*おまけ*(トニー&マイク再び)
下記は、メジャーデビュー間もないレッチリが、TV番組に出演した際の映像。
22歳のアンソニー&フリーが司会者を前にふざけ倒しています。
アンソニー&フリーともにノー・タトゥー。
背後にいるギターのジャック・シャーマン(アンソニーとフリーの6歳年上)は、アンソニーの自伝にも書いてありますが、服装も含めてやや浮いてますかね。
4.Blackeyed Blonde
続いて、3曲目は2ndアルバムから、Blackeyed Blonde。
Blackeyed Blondeは、ヒレルのセンスあふれる洗練されたサイケデリックファンクです。
復帰したヒレルが醸し出す、サイケデリックなムードが、2ndアルバムの要。
タイトル | 「ブラックアイド・ブロンド」(Blackeyed Blonde) |
収録アルバム | 『フリーキー・スタイリー』(Freaky Styley) |
作曲 | アンソニー・キーディス、フリー、クリフ・マルティネス、ジャック・シャーマン |
演奏メンバー | アンソニー・キーディス(v)、フリー(b)、ヒレル・スロヴァク(g)、クリフ・マルティネス(ds) |
プロデュース | ジョージ・クリントン |
聴きどころ
Blackeyed Blondeの聴きどころは、やはり、ヒレル。
特に、Blackeyed Blondeの超ミニマル・ギターソロは、センスの塊。サイケデリックで格好いい。
下記は、ジョン・フルシアンテのBlackeyed Blonde。
ヒレルへのリスペクトを感じるジョンのアプローチ。
下記は、1986年のスケーター映画『Thrashin’』の一幕。劇中にレッチリの演奏シーンがあり、ヒレルがダブルネックでBlackeyed Blondeを演奏しています。
ちなみにこの『Thrashin’』のサントラには、ディーヴォ、サークル・ジャークスなどが収録されています。粋ですね。
*おまけ*(ネヴァマイ)
Nevermindも2ndアルバム収録で、輝いている。レッチリ・クラシック、マスターピース。
先ほど紹介したMommy Where’s Daddyと同様、今でもライブで演奏されています。
冒頭のアンソニーの、狂った節回しが好きすぎる。
この時、アンソニー&フリーは56歳。チャドは57歳。
「エネルギッシ!」な、アラ還。
5.Behind the Sun
続いて、4曲目は3rdアルバムから、Behind the Sun。
Behind the Sunは、チルい。80s感満載、80sチル。
Behind the Sun以前は、メロウなムードの曲はレッチリになかったので結構重要な曲だと思います。
Behind the Sunで、ヒレル・スロヴァクはシタールを演奏しています。
ちなみに、この頃までは、プロデューサーのマイケル・ベインホーンともうまく行っていたと、アンソニーの伝記に記録があります。
タイトル | 「ビハインド・ザ・サン」(Behind The Sun) |
収録アルバム | 『ジ・アップリフト・モフォ・パーティー・プラン』(The Uplift Mofo Party Plan) |
作曲 | アンソニー・キーディス、フリー、ヒレル・スロヴァク、ジャック・アイアンズ |
演奏メンバー | アンソニー・キーディス(v)、フリー(b)、ヒレル・スロヴァク(g)、ジャック・アイアンズ(ds) |
プロデュース | マイケル・ベインホーン |
聴きどころ
Behind The Sunの聴きどころは、オリエンタルゆったりなムードにあります。
下記は、1995年(デイヴ・ナヴァロ在籍時期)のライブ映像です。
5:37から少しですがBehind The Sunが演奏され、Give it AwayのベースフレーズにBehind The Sunのギターフレーズが乗る絶妙なチル感を味わえます。
ちなみに、アンソニーは92年頃〜97年頃まで、Give it Awayでギターのバッキングをします。ストラト、テレ・シンライン、ダンエレクトロなど、使用。
*おまけ*(3rdの名曲)
下記は3rdアルバム収録のFunky Crime。名サイケデリックファンク曲です。
下記のライブは1992年に行われた『Blood Sugar Sex Magik Tour』3月のミラン公演の一幕です。
この曲は「結成メンバーで書いた楽曲」で、「Funk is my attitude」という歌詞がある通り、ファンクへの強い思いが込められています。
実はこのライブのジョン・フルシアンテは、精神的な限界にかなり近づいています。ジョンは、同年5月の来日公演で急遽帰国、そして脱退。
6.Knock Me Down
最後、5曲目は4thアルバムから、Knock Me Down。
Knock Me Downは、ジョンとチャドが加入してから作られた楽曲。
Knock Me Downは、疾走感のある曲調、アンソニーとジョンのハーモニー、80年代のレッチリ楽曲の中でも個人的に激推し。
タイトル | 「ノック・ミー・ダウン」(Knock Me Down) |
収録アルバム | 『マザーズ・ミルク』(Mother’s Milk) |
作曲 | アンソニー・キーディス、フリー、ジョン・フルシアンテ、チャド・スミス |
演奏メンバー | アンソニー・キーディス(v)、フリー(b)、ジョン・フルシアンテ(g)、チャド・スミス(ds) |
プロデュース | マイケル・ベインホーン |
聴きどころ
Knock Me Downの聴きどころは、スリリングに転調する展開、そしてアンソニーとジョンの美しいハーモニーです。
ジョン・フルシアンテが加入してからの楽曲は、以前にも増して、「転調」や「ボーカルハーモニー」など、「音楽的テクニック」を強く感じます。
下記は、ジョン・フルシアンテ加入後、1989年のライブ映像。
当時ジョン・フルシアンテ19歳。既に彼は天才でした。
ジョン・フルシアンテは、知人に紹介され、レッチリの新ギタリスト・オーディションに参加し、アンソニー&フリーの度肝を抜いた。そして、人生初のバンド活動が始まった。
ジョンという才能が加わったレッチリの、次なるフェーズを予感させる楽曲こそ、このKnock Me Downなんです。
*おまけ*(4thの名曲)
下記は、4thアルバムに収録のTaste The Pain。
この動画は、ジョンが加入して間もない1988年Turd Town TourでのTaste The Pain。
Turd Town Tourは、4thアルバムMother’s Milkのレコーディングが始まったころの北米ツアーです。
ちなみにこの動画は、11月26日のロング・ビーチ公演なので、ドラムは、チャド・スミス加入前のD.H.ペリグロ(デッド・ケネディーズ)です。
チャドが加入するのは、ペリグロが解雇された12月以降。
7.実験の積み重ね
80年代レッチリは、ファンクとラップの実験の積み重ねている最中。とはいえ、独自の世界観は既に持っており、唯一性の高い音楽を早くから展開していました。
とにかく、レッチリの80年代は、総じてめちゃめちゃ「エネルギッシュ!」。
80年代のレッチリは、1stアルバムから4thアルバムまでに、3人のプロデューサーが関わりました。そのため、成長過程を目の当たりに出来る時期でもありますね。
※下記は「アンソニーの半生=レッチリの歴史」がぎゅっと詰まったアンソニー・キーディス自伝。各メンバーの「出会い」「別れ」「制作の裏側」など、興味深い逸話のオンパレード。めっちゃ面白い。未読の方はぜひ。
レッチリ年代別代表曲
今回は80年代特集でしたが、90年代、00年代、10年代とそれぞれ「レッチリの代表曲とは?【年代別で整理】」にまとめてありますので、下記からどうぞ!
今日は以上です。
skでした。
最後まで読んでくださりありがとうございます!
記事が参考になりましたら幸いです。
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